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企業倫理
1970-

  
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博士論文

 

【洋文献】

◆Brenner, S. N., & Molander, E. A. (1977). "Is the Ethics of Business Changing?" Harvard Business Review. 55, 57-71.

◆Davis, K., & Blomstrom, R. L. (1971). Business, Society and Environment: Social Power and Social Response 2nd ed. McGraw-Hill

◆Edmonds, Sharl W. (1977). "Unifying Concepts in Social Responsiblity," Academy of Management Review.

◆Ferrell, O. C., & Weaver, M. K. (1978, July). "Ethical Beliefs of Marketing Managers," Journal of Marketing. 69-73.

◆Hay, R. D., Gray, E. R., & Gates, J. M. (1976). Business & Society. South-Western

◆McGuire, J. W. (1975). Business and Society. Random House.

◆Rest, J. (1979). Development in Judging Moral Issues, University of Minnesota Press.

◆Steiner, G. A. (1975). Business and Society. Random House

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【書籍】

◆中川敬一郎 編 (1972) 『経営理念』, ダイヤモンド社

◆中谷哲郎・川端久夫・原田実 編 (1979) 『経営理念と企業責任』, ミネルヴァ書房

◆日本生産性本部産業教育委員会 編 (1979) 『これからの経営理念と産業人の価値観――企業市民社会を中心に』

◆竹内靖一・宮本又次 監修 (1979)『経営理念の系譜』, 東洋文化社

◆土屋喬雄 (1974) 「新時代に望まれる経営哲学」,『経営者』, 1月号

◆山城章 編 (1972) 『現代の経営理念』, 白桃書房

◆山城章 (1974) 「経営理念――30年のあゆみと80年代への展望」『経営者』5月号

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【論文・論考】

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◆竹内靖一・宮本又次 監修 (1979)『経営理念の系譜』,東洋文化社

はしがき――竹中靖一

福徳思想の発生と吉祥への願望――宮本又次

江戸時代商家の経営理念――竹中靖一

京都における老舗の経営理念――老舗の家訓を通して見た――足立政男

江戸時代における家訓の特質――その現代的意義を求めて――作道洋太郎

安田善次郎の人物と思想――明治期の企業者活動との関連において――由井常彦

19世紀イギリス産業資本家の経営理念――角山栄

 イギリスの地域社会志向の企業家マインドを支えていたものは、現実には確かに限界があったにしても、ピューリタン的ジェントルマン的博愛主義であった。これに対して日本の産業資本家は国家目的志向の経営理念によって強く支えられていた。また家父長的温情主義による経営家族主義をとっていたにしても、そのなかからイギリスのような地域社会のほうクフとか年コミュニティ作りに向かう企業家マイドン[ママ]は生まれてこなかった。(p.199)

ドイツ経営理念とキリスト教――北村次一

アメリカ南部の経営理念――天野潤次郎

1914年に幹部に頒布された少冊子「わが社の新年の事業方針」歯第一に「労働者の道徳的、精神的福祉の向上」を歌い、その冒頭に「禁酒」(sopiety)を掲げている。工場創立以来ロバーツ工場長の方針は禁酒の人しか採用しないことであるが、これは工場村の風紀にとって好結果を齋した。1899年、1909年の規制でも工場内、工場村内での避けるいの使用・販売、トランプ、ダンスを禁じている。酒飲みは不断の能率的作業をおこなえない理由にもよる。したがって会社は当然キリスト教会の「禁酒・節酒運動」に協力した。「喫煙」はそれほど守られていないことは1924年にYMCAの少年事業部長が「喫煙はもっとも困った敵で、如何ながらスクールフィールド工場の子どもの約半分が煙草を吸っている」と述べたことで明らかである。煙草生産地域に位置しているから禁煙励行は難しかったのだろう。
 「禁酒」と並んで「信仰」(piety)は特に重視せられた。キリスト教会に出席することは工場労働者にとっては半ば義務であって、信者の過半数が行員でもって構成せられる協会は「牧師の生活費」等の名目をつけて援助せられ、またぼく仕官はすべて会社が所有し、これを無償で牧師に貸与した。(p.261)

 青年に対しキリスト教主義に基づく、人格形成、集団訓練を図り、さらに教養向上からレクリエーションを提供する施設としてはYMCAとYWCAが大切であるが、会社はこのふたつを大幅に援助した。すなわち、1905年会員1200人の中四分の三が会社の女子工員であるダンヴィルYWCAに年額600ドルの寄付をし、それ以後も続けている。(P.265)

 この経営パターナリズムは一方においては従業員との親密な個人的接触を重んずる温情主義と、他方においては労組反対の頑固な態度、ちょうど戦後において解放された黒人小作人に定住を強制する「浮浪者取締法」を志向したと同じく、工場においても退職者に「品行カード」を発行し、新規採用社の品行を取り締まった封建的態度、いわゆる「パス・システム」となって現れている。(p.275)


あとがき――宮本又次

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◆UP:100221/REV: