◆松原 聡 2000 『既得権の構造 「政・官・民」のスクラムは崩せるか』 PHP新書126
第1章 失われた十五年
第2章 省庁再編とは何だったのか
第3章 「政・官・民」のスクラム
第4章 既得権との戦い
第5章 既得権を崩すIT革命
NTTは、分割によって企業の力が殺がれることを危惧して、大企業のまま日本の電気通信市場に君臨することを望んでいた。自らの立場を、つまり電電公社時代からの、政府から与えられた独占的地位を、なにがなんでも維持したいと望んでいたのである。公社時代の独占によって得られた圧倒的な企業規模は、NTTにとって最大の既得権であった。(p.24)…自らの既得権に固執して、NTTの改革を阻んできた勢力は、そのことが日本の経済・社会全体の活力を奪っていることに、一体どこまで気がついているのだろうか。(p.29)…国有化された段階で日債銀の株はすべて価値を失ったわけであるから、当然、その増資分もすべて消失した。怒った金融機関は、金融監督庁を相手に行政訴訟を起こす気配すらある。これに対して当時の金融監督庁の柳沢伯夫長官は「受けてたつ」と答えている。親子関係は見事に崩れ去ったのである。(p.33)
ほんの数年前まで、「ボーナスは銀行へ」という全銀協提供のコマーシャルがあったのを覚えているだろうか?個別行の名を出しての広告が自主規制されていたため、全銀協が広告主となっていたのである。個別行が広告すら出せなかったということは、この業界がまさに強壮なきぬるま湯の世界にあったことを象徴的に物語っている。(p.40)」
イギリスでは、エージェンシー化とマーケット・テスティング(market testing)が常にセットになっている。マーケット・テスティングとは、言葉どおり、行政サービスを「市場でテスト(評価)する」手法である。日本のように、独立行政法人として、単に政府や自治体の外部に押し出すのではなく、そこで民間と競争するというテストを受けさせるのである。具体的には、施設運営、経理、記録保管、監査、休職、情報記録、法律業務、医療サービス、社会保障手当の給付、旅券の発行などの多くの分野で、公務員チームと民間企業とに競争させる。その結果政府や自治体などのチームが、価格やサービスの質で劣っていたら、公務員チームの負けということになる。たとえばごみ収集の仕事で競争し、仮に民間企業が勝てば、公務員チームは解散・解雇となる。もし、この話を厳しいと感ずる人がいたら、それは甘え以外のなにものでもない。一般の民間企業は、常に市場でテストされている。自らが提供する商品やサービスが、市場で評価されなかったら、つまり売れなかったら、すぐに倒産である。(p.71-2)
郵貯2000年問題の根本は、半世紀以上前に戦費調達のために導入された貯金制度が、いまなお残っているところにある。十年固定金利、半年複利の金融商品など、この金融自由化、国際化の時代に、成立し得ない。このありえない商品が存続してきたこと、すなわち、金利が0.1パーセントにまで下がりつづけた十年間に、郵貯が5-6パーセントもの高金利を払いつづけてきたという事業そのものが、郵貯2000年問題の本質なのである。(p.90)
預託された資金の運用については、郵政省は一切関与しないとともに、責任も負わない。資金の需要とは関係なくお金が集められ、社会的に資金が必要なところに資金を供給するのではなく、政策判断で振り分けられる。そこにはマーケットメカニズムは一切働いていない。…資金の運用先つまり需要側から見ても、割り振られた資金を使いきれていない。…資金の配分権自体が既得権と化し、同時にその資金を受ける側も既得権化していることも大きな問題である。(p.96-9)
これまで経済学では、電力などの巨額の設備投資が必要な産業(自然独占)や、タクシーのように利用者が料金の安いものを選びにくい分野(情報の不完全性)などを、法律などによって規制すべき対象としてあげてきた。(p.121)
この公共事業費とその配分権も、立派な既得権である。そしてこれからも、整備新幹線や、高速道路、関空二期工事、中部国際空港など、本当に必要かどうかわからない事業が次々に行なわれようとしている。そこに、国民の税金や公的な資金がどんどん流されていく。もういいかげん、このお金の流れを真剣に見直すときが来ている。あまり使われない道路や空港ばかりが作られていると、少子・高齢化対策、デジタル・ディバイド対策といった本当に必要なところに税金が流れない。そのことによって最も不利益を被るのは、われわれ国民である。(p.130)
まさに、既得権の頂点に族議員が君臨し、しかしその族議員は選挙の際には、業界に平身低頭する。このようにして、既得権のスクラムは、延々と存在しつづけてきた。(p.134)
第一は地域分割である。国鉄というのは、いうまでもなく全国の鉄道ネットワークである。それをわざわざ分割しようというのだから、いってみれば常識外れの議論であった。それでも分割を行なったのは、まずそれぞれの営業の範囲を小さくして、責任ある経営を行なうようにするため、もうひとつは、どうやっても赤字が出ざるを得ない地域と、経営努力によって黒字が可能となる地域とを分けるためであった。(p.141)
…既得権の頂点に位置する「政」の背後にあってそれを支えているのは、政治に関心を持つ一部の国民、ということになる。そしてその一部の選挙上手の国民にだけ特定の権益が流れているのである。私たちは、このことのおかしさにもっと気づき、また憤るべきである。(p.213)
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◆佐々 穆 1933 『有限責任会社法論』 巌松堂書店
緒論
本論
第一章 独逸(ドイツ)法制
第二章 葡萄牙(ポルトガル)法制
第三章 墺太利(オーストリア)法制
第四章 チェッコ・スロヴァキヤ法制
第五章 勃牙利(ブルガリア)法制
第六章 波蘭(ポーランド)法制
第七章 西班牙(スペイン)法制
第八章 伯剌西爾(ブラジル)法制
第九章 ソヴィエト・ロシヤ法制
第十章 智利(チリ)法制
第十一章 仏蘭西(フランス)法制
第十二章 土耳古(トルコ)法制
第十三章 亜爾然丁(アルゼンチン)法制
第十四章 リヒテンシュタイン法制
第十五章 瑞西(スイス)法制
第十六章 伊太利(イタリア)法制
第十七章 匈牙利(ハンガリー)法制
第十八章 白耳義(ベルギー)法制
第十九章 英吉利(イギリス)法制
第二十章 立法私論(結論)
然るに、無限責任の原則は二重の進化を遂げた。其の一は同じく中世伊太利自由都市に起りたるコンメンダ契約(Commenda)において之を見る。即ちコンメンダトール(Commendator)の責任を其の出資たる金額に限定するのであって、従来の鉄則に対する著しき制限であった。今日における各国法制上の合資会社に於ける有限責任社員が其の出資額を限度としての責任を負債するに過ぎないのは此のコンメンダ契約の特質に其因せるものにて、無限責任の鉄則より脱せんとする強き要求の結果として認められるるに至れるものに外ならぬ。(p.2-3)
(ドイツ法制)業務執行人の責任としては善良なる管理者の注意(Sorgfalt eines ordentlichen Geschaftsmanes)を以て諸般の業務を執行しなければならない(第四十三條第一項)。従って其の任務に違背したるときには因って生じたる損害に付き業務執行人は会社に対し連帯責任を負ふのである(第四十三條第二項)。(p.32)
有限責任会社に関する規定は他の立法例とは趣を異にしソヴィエト式の色彩が現れて居る。@第318条は本会者を定義し、有限責任会社とは全社員が共通の商号の下に商業又は工業を営み、会社の債務に付き、単に会社に提供したる出資額を持ってするのみならず平等に各社員の出資額の倍数(例えば3倍、5倍、10倍)の学だけ自己の財産を以っても又其の責に任ずる会社と言うと規定している。此の規定は後述の瑞案及びリヒテンシュタイン法を除きては、従来のほかの立法例に類例を見ない全然新たなる直接責任を認めたるものである。各社員は平等に其の出資額の倍数だけ直接責任を負担するのであって、而かも支払い不能の社員の負担額は他の社員の間に其の持分に応じて分割し之を補填する義務を認めている(民法第219条前段)。併し乍ら、第三者及び他の社員に対して各社員は自己の出資額及び其の責任の限度として定められたる出資額の倍額を越ゆる責任は之を負担しない(第319条後段)のであるからこの点に於いて有限責任制である。(p.183-4)
国王の勅許状を得ることは多くの費用を要し、又国会の議決する特別法を以ってする特許を得ることも事実上甚だ困難だったために企業家は寧ろコモンローの認むる組合に付きて其の新たなる考案として組合員の有限責任と持分の自由譲渡とを実際に実現し以て刊行として之を盛行するに至った。(p.376)
社員の責任の有限なる旨 単に社員は有限責任(limited liability)を負う旨を記載するを持ってたる。(p.398)
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◆林 昭 編 2004 『現代の大企業 −史的展開と社会的責任』 中央経済社 ISBN4-502-36590-4
序章 現代の社会と企業
第1章 資本主義経済と企業
第2章 株式会社制度
第3章 現代日本の株式会社と株式所有
第4章 現代日本企業とコーポレート・ガバナンス
第5章 現代企業における企業集中形態
第6章 現代日本の産業発展と企業集中形態
第7章 日本的企業経営システムの発展と変化
第8章 民営化・規制緩和と現代企業
第9章 現代企業と経済民主主義
◆岩井 克人 2005 『会社はだれのものか』 平凡社 ISBN4-582-83270-9
重要だったのは、終身雇用制と年功序列制と会社内組合制です。それらは、ヒトとしての会社が所有する機械制工場を効率的に運用していくために必要とされる熟練やノウハウを、従業員や技術者や経営者が自主的に蓄積していくことを促す雇用システムとして、歴史的に発達してきました。そして、戦後日本の行動成長を大きく支えてくれることになったのです。だが、同時に忘れてならないことは、日本的経営が育成してきたこのような組織特殊的人的資産の役割は、あくまで産業資本主義の役者である機械制工場を補完するものでしかないということです。機械制工場が利益の源泉でなくなれば、その役割も終わってしまいます。そして、じっさい、農村の過剰人口の枯渇によって、産業資本主義の原理が働かなくなったポスト産業資本主義の時代において、その役割を終えつつあるのです。機械制工場をいくら効率的に運用しても、利益を確保することは困難になっています。(p.48)
当たり前のことですが、「違い」を意識的に生み出すことができるのは、ヒトだけです。「意識的」という言葉を使うことからも明らかなように、とくに重要なのは、ヒトの頭脳です。ヒトの頭の中にある知識や能力、ノウハウや熟練などが、違いを生み出す重要な源泉になってきたのです。多少言葉を乱用すれば、ポスト産業資本主義においては、機械制工場ではなく、ヒトが資本になったということです。資本とは、基本的には、利益を生み出す源泉という意味だからです。これは、本当に大きな変化です。なぜならば、それは同時に、ポスト産業資本主義においては、おカネの力が弱くなってきたことを意味するからです。(p.51-2)
ミルトン・フリードマンによれば、会社に社会的責任があるとすれば、唯一それは利益を最大化することであるというのです。ここで、「社会的責任」という言葉を使っているのは、もちろん、痛烈な皮肉です。通常、人々が会社の社会的責任というとき、それは社会的正義の実現や公共福祉の増大など、利益以外の目的も会社は考慮すべきだということを意味しています。フリードマンが、会社の社会的責任は利益を最大化すること以外にはないというのは、そのような意味での社会的責任などまったく存在しないという意味です。(p.85)
もし環境への配慮や芸術活動の支援や法令の遵守が、会社の長期的利益を高めるのであれば、ミルトン・フリードマンも大喜びで、経営者にそうするように勧めるはずです。それは、会社の唯一の目的は株主の利益を最大化することだという株主主権論と矛盾しないどころか、まさにそれに100%合致しているからです。それは、長期的な利益を高める方法について不勉強な経営者に、彼らの知らない長期的な利益の高め方を教えているに過ぎません。それは、コーポレート・ガバナンスにかんするシンポジウムのテーマのひとつではあっても、会社の社会的責任という名を冠するシンポジウムのテーマにはなりえないはずです。(p.90-1)
法人とは、社会にとって価値を持つから、社会にとって人として認められているのであるという、法人制度の原点に立ってみましょう。そうすると、少なくとも原理的には、法人企業としての会社の存在意義を、利益最大化に限定する必要などないことが分かります。社会的な価値とは、社会にとっての価値です。それは、まさに社会が決めていく価値であるのです。そして、ここに、真の意味でのCSRの出発点を見出すことができるはずです。すなわち、たんなる長期的利益最大化の方便には還元しえない社会的な責任という意味でのCSRです。(p.94)
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◆奥島 孝康 編 1997 『会社はだれのものか コーポレートガバナンス2』 社団法人 金融財政事情研究会
取締役は会社の機関として行為を行ったのだから、取締役が行った行為は会社の行為であって、取締役個人の行為ではない。したがって、取締役個人が責任を負うのは本来おかしい。会社の行為によって損害を受けたものは、会社に対して損害賠償を請求すればよいではないか。つまり、民法709条の不法行為責任に基づいて会社の責任を追及すればよい。民法709条によって責任を問うことができるにもかからず、あえて商法266条の3にいう「第三者に対する責任」の規定を設けたのはなぜか。それは会社法の論理からは直ちに出てこない。通説は、これは第三者保護のための特例として設けられたものと解している。(p.68)
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◆柿澤 昭宣 1999 『株式会社と現代資本主義の変貌』 晃洋書房 ISBN4-7710-1123-0
第一章 会社と株式会社
第二章 株式会社本質論の再考察
第三章 株式会社の形成
第四章 労働者の今日的あり方
第五章 経営者支配の意味@
第六章 経営者支配の意味A −取締役会の形骸化
第七章 経営者支配の意味B
譲渡自由な株式制、すなわち一定額以上の資本の所有者なら何びとでも社員として受け入れるという会社の開放性こそが株式会社の本質的属性であり、全社員の有限責任制はそれを担保するための属性に他ならない事は純粋に理論的にも証明することができる。一定額以上の資本の所有者ならなんびとでも自由に社員として受け入れようという会社の開放性は、だれもがすぐ気づくように、そのもち手を問うことなく社会の資本を大量に動員しようと意図したことから考案されたと考えられるが、株式がだれもが購入しうるものとなり、かくして何びとも株式会社の社員となりうるようになるためには、一定の客観的条件が必要である。(p.21)
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◆大隅 健一郎 1976 『私と商事判例』 商事法務研究会
…会社は、多面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会その他(以下社会等という。)の構成単位たる社会的実在なのであるから、それとしての社会的作用を負担せざるを得ないのであって、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりのないものであるとしても、会社的に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然になしうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとっても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をする事は、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これ等の行為もまた、間接ではあっても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを防げない。災害救援資金の寄附、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適齢であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度の関わる出損をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがって、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主等の利益を害するおそれはないのである。以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。(p.75-6)
憲法上の参政権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担を任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄附もまさにこの自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄附と別意に扱うべき憲法上の要請があるものではない。(p.77)
…会社における支配的株主が会社事業および会社財産を自己個人のもののごとく取り扱い、会社の業務と株主個人の業務とが混同されて、株主みずから個人と社会との分離を否定している場合には、法もまた、債権者の保護のために必要であるかぎり、個人と会社との分離を否認すべきである、というアメリカの判例の言葉は、参考に値するであろう。(p.91-2)
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◆大隅 健一郎 1946 「英国における株式会社の発展 1」,『法学論叢』52(2) pp.65-80.
英国におけるjoint-stock companyの証跡は16世紀の中半以前には遡らない。然し当時既にその成立を不可避ならしめる2つの重要な発展傾向があった。即ち一方にはコムメンダ(commenda)及びソキエタス(societas)なる中世的パートナーシップ。(p.artnership)の形態が存し、他方にはギルドに端を発するカムパニーcompany)なる法人的活動の組織が存した。前者は数人の所有に属する資本を結合にさいしたが、これによって成立した企業はその性質が当座的で継続性を欠いていたのみならず、多数の成員を誘引しかつこれが管理するための十分した組織を持たなかった。然るにその他とくに必要な制度は後者によりて準備されていた。そしてパートナーシップにカムパニーの組織が接合せられたところにjoint-stock companyの形成が斉されたのである。(pp.66-7)
工業の進歩と共に商人ギルドは商業を助成するよりも阻害する傾向を示し、14世紀に至りこの制度は同職ギルド(craftgild)及びカムパニー(company)の如き特殊化せられた商人の団体により代替され始めた。後者が外国貿易に関してさらに特殊化せられるときjoint-stock companyへの発展が現れる。その架橋をなしたのがMerchants of teh staple(the staplers)及びMerchant Adventuresである。いづれも羊毛・毛織物などの重要商品の海外貿易に従事する商人の団体であって、既に13世紀においてその存在を確認することをうるが、後者は14世紀末及び15世紀のはじめイングランドの国王から北海及びバルチック沿岸諸国に関し数個の勅許状を与えられた。これが外国貿易を目的とする端緒的な制規会社(regulated company)の最初の公認である。(p.68)
宗教改革による経済的損失、国王ヘンリー8世の浪費、巨額かつ高利率の外国における債務、国内生産の減退等により、16世紀中頃英国の国内資本は著しく窮乏していた。かかる事態の下にあっては、自由に求められた資本に対しできるだけ高い利潤を獲得せんとの試みがなされたことは想像に難くなく、企業家的商人は外国貿易に大きな注意を向けざるをえなかった。然し当時すでに既知の貿易路は既存の制規会社により支配されて以降、彼らはもっと遠隔の地に向かわざるを得なかった。そこで一度かかる遠隔地との貿易企業が企てられるや、おのづから若干のjoint-stock companyが形成せられた。(pp.71-72)
まず前述の会社のうち主なるものはいづれも特許状により法人格及び各種の特権を与えられているが、この特許状はすべて国王によってのみ与えられた。かかる特許状の付与が欲せられた理由は、企業者たる商人の側から見れば、第一にこの特許状なきときは団体は政府により疑惑の目を以て見られる虞があったことにある。即ち特許状は単に国王の恩寵及び保護のしるしたるに止まらないで、これなくしては王室より嫉妬及び疑惑を以て見られるべき事項の許容たる意味をもっていたのである。第二に彼等が国体の自治権・成員に対する課税権・団体内の紛争に関する裁判権・外的に対する防衛権を必要とし、また貿易独占権・輸出入に関する特別法及び貿易阻害的な諸法律から免除・関税免除を欲したのにある。そして国王の側からみれば、会社によって行われる統制はしばしば国民の商事活動から生ずる国際紛争につき国家に対する大きな援助となり、また特許に対する会社からの献金は王室の重要な財産となったから、おのづから特許状を付与するに傾いたのである。かように十六世紀における会社に対する法人格の付与(incorporation)は、成員とは別個の技術的人格者を創造することによりもたらされる商業的便益のためによりも、第一次的には主権の一部及び貿易特権を有する団体を創造するという貿易組織及び国家の対外政策の見地から、換言すれば商法的な見地よりも公法的見地にもとづいて行われたのである。法人の永久継続性、国体が国体として取引をなし、共同印章により国体の行為を確実にし、また成員の持分の譲渡性を明確にし、法人たる国体の責任とその成員の個人的責任とを明分にし、殊に成員の有限責任を認むるなどの法人に於ける商業上の便益が明らかにされ、主としてこの見地からする法人格付与の意義が尊重されるに至ったのは十七世紀になってからである(pp.77-78)
近代の株式会社では株金額が一定せられ、株式数は企業の発展に伴い変化するのであるが、16世紀にあっては逆に株式数が固定され、株式に対する支払い後に金額が企業の必要に応じて随時追加徴せられた。その意味で社員の責任は一種の無限責任であった。尤も法人の債務につきその成員が人的に責任を負わないことは既に15世紀以前に明らかにされていたから、右の責任は間接無限責任というべきものであった。かかる徴収制度の結果株金額が著しく増大する場合を生じ、払い込みに必要な資金を持たない社員はその株式を細分して、その一部を売却することにより他の部分に対する払い込みの資金をうるほかなかった。かくて二分の一、四分の一、八分の一などの小割株が存在することとなった。(p.79)
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◆Berle, A. A., & Means G. C. 1932. THE MODERN CORPORATION AND PRIVATE PROPERTY. THE MACMILLAN COMPANY.
= 1958 北島 忠男 訳 『近代株式会社と私有財産』文雅堂銀行研究社
第一篇 財産の変革
第二篇 諸権利の再編成
第三篇 証券市場における財産
第四編 企業の改組
公開証券市場の利用によって、これらの諸会社は、それぞれ、投資大衆に対して義務を負うことになり、この義務は会社をして、少数個人の支配を粉飾する法律的方法によって、その企業に資金を提供する投資家のために、少なくとも名目上は奉仕する制度に変える。所有者、労働者、消費者、及び、国家に対する新しい責任は、かくて支配者の双方に懸ることとなる。こうした新しい諸関係を創造するということで、準公開会社はまさに革命をもたらしたといえよう。このことは、われわれが、普通、財産と呼んでいた実態を破壊したことになる−即ち、所有権を名目上の所有権と、以前はそれに帰属していた権力とに分離したのである。これによって株式会社は利潤追求企業としての本質を変えたのである。この革命がこの研究の主題になる。(p.7-8)
…個人が自由に自らの財産を利用し、財産の利用から生ずるあらゆる成果を受け取る権利が保障されるならば、私的利得、及び、利潤を得んとする個人の欲望は、人が所有しているところの全産業財産の能率的利用についての効果的誘因として存続することが出来る、と想定されてきたのである。準公開企業では、もはやこうした想定は通用しない。われわれがすでに考察したごとく、自分の富を自分自ら利用する個人は、もう存在しない。このような富の支配を手にした人々、従って、産業能率を確保し、利潤をあげるべき地位にある人々は、こうした理由の大部分に対して、もはや所有者としての権利がなくなっている。(p.10)
所与の株式会社は、三つの主たる方法によって、その支配下にある富を増大させることが出来る。その三つの方法とは、第一に、当該会社の収益の再投資、次に、公開市場を利用した会社証券の発行による新資本の増加、第三に、証券の購入または交換による他会社の支配の獲得がそれである。この他に、個々人に対する証券の私的発行という様な数多くの他の諸方法があるが、右の三方法は他の諸方法よりもはるかの重要な方法であり、考察する必要があるのは、これらだけである。(p.51)
支配形態をそれぞれ明確に区別する区画線はないが、5つの主な形態を区別することが出来る。5つの形態とは、@、ほとんど完全な所有権による支配、A、過半数持ち株支配、B過半数所有権がなくして、法律的手段方法による支配、C、少数持ち株支配、及びD、経営者支配である。これらのうち、はじめの三形態は、法律上の基盤に基づいた支配形態であり、議決権株式の過半数を投票する権利に依存するものである。残りの二形態である少数持ち株支配、及び、経営者支配は、法律外のもので、法律的基盤よりも、むしろ実際上の基盤に立つものである。(p.89)
企業についての諸問題を論議するときには、三つの機能を区別することが出来る。即ち、企業に対して利害関係をもつ機能、企業についての権能をもつ機能、企業に関して行為する機能、がそれである。単独の個人はいろいろなかたちで、これらの機能の一つ、または、それ以上を遂行する。…最初の2つの機能は所有者が遂行し、三番目の機能は、所有者以外の集団、即ち、雇用経営者によってその大部分が遂行される。こうした生産機構のもとで、所有者は、専ら、所有者が企業を自ら経営するか、または、企業の経営をほかに委任する所の地位と、企業に生ずる何らかの利潤、または、利益を受け取る地位との、二つの地位にあるという事実で識別された。他面、経営者を第一義的に識別するのは、経営者は、所有者の利益のために、企業を運営するものとされるという事実であった。所有権と経営との相違は部分的には、こうした地位と行為との相違であった。(p.147)
若し、われわれが私的利潤への欲求こそが、支配者を動かす第一の動機であると仮定するとすれば、われわれは、支配者の諸利益は、所有権を有する人々のそれと異なるものであり、そして、しばしば根本的に対立することがあると結論せざるを得ない。従ってまた、所有者は、利潤追求を目的とする支配集団によって全く奉仕されることはないであろうと結論せざるを得ない。株式会社の運営に於いて、支配集団は、たとえ自分達が大量の株式を所有していても、会社のために利潤を作り出すよりも、社会を犠牲にして利潤を得た方が、よりみずからの懐を肥やすことができる。若し、このような人々が、社会に対する財産の販売から100万ドルの利潤を得たとすれば、彼らは、自分達の持ち株である60パーセントの所有権を投げ出して、60万ドルの損失を引き受けても、もうかるのである。というのは、この取引では、そうしてもなお、40万ドルの純利潤が彼らの懐に残る、つまり、他の株主たちが40万ドルに相当する損失を引き受けるからである。支配集団の株式所有割合が減少すればするほど、また、会社にとっての利潤と損失がそのまま彼らにとっての利潤、損失の両者となることが少なくなればなるほど、会社を犠牲にして利潤を作り出す機会は、より直接に支配集団の利益となる。支配集団の持つ株式の量が、経営者支配の会社における経営者のそれのように、きわめて小割合しか占めていないときには、会社を犠牲にして得る利潤は、支配を掌握した人々にとっては、事実上、正味利益となり、利潤追求を目的とする支配者の利益は、所有者の利益と真っ向から対立することになる。(p.151)
このようにして収得利潤の配分ということになると、自己利益追求支配者が、しばしばそうであるように、別の会社の証拠に投資権益を持っているとすれば、彼らは、利潤を、ある種の株式から他の種の株式に転流するように努力するであろう。市場操作の場合には、こうした支配者は、現在の株主から低い価格で株式を購入し、将来別の株主に高い価格で売却するために、『内部情報』を活用するかもしれない。支配者は、合理的な市場価格で確立されるような諸状態を維持することには、ほとんど無関心である。逆に、支配者は、欺瞞的性格を持った財務諸表を発表するかも知れないし、或いは、ことさら自分自身の市場相場操縦をもくろんだ諸項目をそなえた情報を非公式として流すかもしれない。従って若し、支配者の関心が、第一に個人的貨幣獲得の欲求に根差すものとすれば、われわれは、所有者と支配者との利害関係はほとんどまったく対立すると結論せざるを得ない。(p.152)
アメリカ法は、株式会社を18世紀末にあったままの形で、イギリス法から継承した。当時、株式会社は『特許』"franchise"(nonman-Frenchでいう"privilege")として考えられていた。即ち、すべて株式会社の存在それ自体が、国家からの許可に基づくことが条件づけられた。この許可が、株式会社を創設せしめ、且つ、株式会社を、その組織員の何人からも独立した法人格として作り上げた。…国家が許可した真の意味での特許は、会社の実態についての特許である。即ち、会社自身の名において事実を継承し、会社を構成する人々とは関係なしに、自分自身のために訴訟し、訴訟をしうける権利である。また、影響的な継続性をもつということ、即ち、会社を構成する人々が代わっても、この実体を継承するという権利である。このことのすべてから、組織者の有限責任ということが必然的に生ずる。債権に対して責任を負うのはこの実体のみであり、従って、その債務は個々人に帰着するものではない。このことから次のことが生ずる。即ち、株主は、企業の如何なる債務に対しても一般に責任を負わず、そして会社の債務については、自ら出資した資産量を超えて責を往古となしに、会社諸活動に必要な特定し産量を拠出出来る、ということである。(p.156-7)
株式なるものは、かつては、かなりの程度までその財産に関する支配力を伴ったところの、財産に対する固定的参加権であった。今日では、それが元来持っていた保護の多くを奪われた参加権であり、今後も無限の変動にさらされている。この結論によって、われわれは、近代的な株式会社における株式のとくに重要な特性と、支配者が株式に対して持っている諸権限とを考えてもよかろう。(p.181)
会社の発展によって、企業経営についての絶えず拡大して行く諸権限は、会社内の諸集団に委譲されるようになった。最初は、こうした諸権限は、主に、企業の技術的(利潤獲得)活動に関係していた。後には、証券所有者の間に利潤、及び利子を分配することに関する諸権限も委譲されるようになった。所有権と支配との分離によって、これらの諸権限は、会社の支配に携わる人々をして、所有権を有する人々の利益に反して、この諸権限を持ちうることをも許すような段階にまで発展した。支配と経営とに関する諸権限は法律によって創造されたものであるから、このことはある程度は利潤を支配者集団の掌中に分かつことを合法化するように現れて来た。しかしながら、財産の伝統的な論理に従えば、これらの諸権限が絶対的なものではないことは明らかである。こうした諸権限は、どちらかといえば、信託された諸権限である。支配者集団は、少なくとも形式的には、所有者の利益のために会社を支配し、また、経営している。会社法令や、会社の定款に、所有権者の利益に反して用いることの出来る権限をはっきりと与えることを挿入することもあり得るが、これらは、普通法の見地からは、支配者集団への権限への授与であって、その所有者の利益のために会社を運営することこそ至上のものとするからである。会社資産と、利潤とについての権限を、証券所有者から支配者にたずさわる人々に移動せしむる権限を含めて、絶対的権限の大なる増加は、こうした権限のすべては、全体としての会社の利益のために企てられたものであり、けっして、経営者、または、支配者を私的に富ますために企てられたものではないということの暗黙な(しかし決して人為的ではない)諒解があるという大胆な信頼へと投入したものである。(p.425-6)
これらのすべての根底にあるものは、財産権に対する普通法の古代からの固執である。元来、普通法は、理想的な政府の企画を設定することを引き受けなかった。普通法は、人間自身を保護することを目的とした。ただ、財産の利害関係が、何らかの非常にはっきりとした公的政策と衝突する場合にのみ、法律的干渉を行ったのである。その元来の目的は、個々の人間の個人的特性−財産についての権利、行動および移動の自由、人々の間での個人的関係−を保護することであった。この点から言えば、株式会社は、単に、個人の財産が他の個人によって運営されるひとつの機構以外のなにものでもなかった。そして、会社の経営者は、代理人、受託者、船長、組合員、共同事業者、および、その他の委託受任者、などと並んだ地位を占めるものであった。会社経営者の力が増大するにつれて、また、個人の統制力がその背景に沈むにつれて、法律の方向は、証券所有者の諸権利の確保を強調するようになって来た。これが強調することのできなかったものは、会社経営者による事業運営についての調整であった。そして、この手抜かりは、論理的な理由の不足からではなく、むしろ、これに関与した諸問題を取扱う能力の不足から結果したのである。(pp.427-428)
過去に於いては、ここでわれわれの関与しているる財産の唯一の形態たる実業企業の所有者は、少なくとも理論上は二つの性格を常時持っていた。第一には、利潤追求企業体に前もって集積された富の危険を冒すことであり、第二には、その企業の窮極的経営と責任とを負うことである。然しながら、所有権のこれら二つの特質は、今日の会社においては、も早、同一の個人、または、集団には付属していない。株主はその富に対する支配を放棄したのである。株主は資本の供給者となり、純粋にして、単純な危険負担者となった。一方、窮極的な責任と権威とは、取締役会、及び、『支配者』によってなされるのである。所有権についてのひとつの伝統的特質が株式所有者に付着され、他の特質が会社支配者に付着される。このようにしてわれわれは、も早、古い意味での財産を取り扱っているものではないことを承認しなければならないのだろうか。(p.429)
『積極的財産』は一連の諸関係からなり、そのもとでは、個人、または、一部の個々人が企業についての諸権限を有するが、効果的に施行されるべき何ら責任もない。積極的、及び、消極的財産の諸関係が同一人、または、同一集団に属する場合、われわれは、それを過去の経済学者たちによって述べられた私有財産とする。この諸関係が異なった個々人に属する場合、生産手段についての私有財産は消滅する。株式については私有財産は存続する。というのは、株式所有者は株式を所有し、且つ、それを処分する権限を持っているからである。しかし、その株式は単に保護が不完全な一かたまりの権利と期待とを代表する象徴に過ぎない。譲渡しうるのはこの象徴の所有であり、生産手段への影響は、よしあるにしても、極めてわずかである。積極的財産の所有ー所有権からはなれて企業を支配する権限ーが、その所有者に属し、且つ、その所有者によって処分し得る私有財産としてみなされ得るかどうか、ということは将来の問題であり、これらについて予測することはできない。(p.439-440)
…証券所有者は自分達が利害関係を持っている積極的財産に対する権限を行使することも、また、これに対する責任をもつこともやめたという事実があるにもかかわらず、会社の支配に携わる集団は、会社の運営に専ら証券所有者の利益のためになすべき受託者たる地位に置かれることになるであろう。このような道を歩んで行くとすれば、アメリカ産業の大きな部分は、専ら、非活動的、非責任的な証券所有者の利益のために受託者達によって運営されることになるであろう。(p.447)
支配による掠取に対する一時的な防衛としての財産権の厳正な施行は、他の諸集団の利益のために、これらの諸権利の修正を妨げるものではない。社会義務の革新的な制度がつくり出された時、そして、これが一般的に承認された時には、今日の消極的財産権は、諸種の大きな利害関係のために道を譲らねばならないであろう。たとえば、会社の指導者達が、公正な資金、従業員の保全、その公衆への合理的な役務、及び、事業の安定化、などを包含した計画を樹立した時には、これらのすべてが消極的財産の所有者から利潤を一部分ふり向けることになり、また、社会が一般に、このような計画を論理的、人道的な産業問題の解決策として承認するならば、消極的財産の所有者の利害はこれに道を譲らねばならないのである。(p.450)
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◆藤瀬 浩司 1980 『資本主義世界の成立』 ミネルヴァ書房 ISBN4623013057
1844年の「株式会社登記・調整法」はグラッドストン(W.E. Gladstone)を委員長とする議会委員会の報告にもとづいて制定された法律であり、「イギリス会社法史に一画期をしるした。」この法律は25名以上の社員と自由譲渡株式のを持つすべての合名企業に登記を要求し、登記完了のための種々の用件を設定しこれを満たす場合にはこの企業に「有限責任」limited liabilityを除く法人としてのすべての資格を与えることとした。画期的な、社員名とその保有数の報告、監査役によって検査された収支報告が義務づけられまた公開された。こうして、「有限責任」は認められなかったにせよ、準則主義によって、法人としての株式会社の成立が許容されることになったのである。(p.84)
新時代の代表的経済学者J.S.ミルは株式会社の完全な自由を積極的に承認する立場をとっている。彼は『原理』では第一篇『生産』第九章「大規模生産と小規模生産」の第二節でまず株式会社の有力性と優越性を指摘した上で、大規模生産を促進するものとして株式会社をあげる。(p.85)
他方でミルは『原理』第五編「政府の影響について」の第九章で株式会社、有限責任の自由の社会的秩序における妥当性を論じている。「生産技術の進歩は多種多様な産業的事業がますます大きい資本によって営まれることを要請している」から「数多くの小資本の集合による大資本の形成」を妨害してはならない。十分な大きな規模を持つ個人的資本は少数であるので、技術改良が大きな資本を要請する場合、事業が「少数の富裕な個人の手に独占される」弊害をもたらすであろう。ここでは小資本の結合による会社結成がむしろ独占を排除し自由競争を保障するものとして考えられる。(p.86)
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◆小山 賢一 1981 『アメリカ株式会社法形成史』 商事法務研究会 ISBN4-7857-0224-9
第1章 アメリカの18世紀における株式会社法の発達
第2章 アメリカの19世紀における南北戦争にいたるまでの株式会社法の発展
第3章 南北戦争中の連邦株式会社立法
第4章 株式会社に関する若干の古典的批判
第5章 シャーマン法の制定
この請願[北アメリカ銀行に法人格の付与を認めた法律と、銀行券の偽造を罰する法律とを廃止する請願]に審査委員会が設置された。これに対して銀行は公聴会を要求したが拒否され、委員会は北アメリカ銀行は公の安全と両立しないとして廃止を勧告した。その報告書は次のように述べている。「北アメリカ銀行は
あらゆる点において公の安全と矛盾する。われわれの商業の現状においては、北アメリカ銀行はわが国の正貨の大部分を一層して正貨の欠乏を生ぜしめ、そして銀行の株主の掌中にわれわれの間に残存しているほとんどすべての金を集める直接の傾向を持っている。永久継続を要求する一団体の手中に巨大な富が集積することは、必然的に公共の安全を害することなしには、いかなる一群の人にも託されえない、かなりの影響力と権力を生み出すものである。北アメリカ銀行は法人としての資格において1,000万ドルの額の財産を保有することを授権され、そして政府になんらの利益を引き渡す義務なしに、またはまったく政府に服従する義務なしに、現在の特許状により永久に存続することになっている。貨幣がますます欠乏するのに反比例して日々に増加し、そしてすでにヨーロッパの銀行の利益をはるかに超えている北アメリカ銀行の大きな利益は、外国人をしてきたアメリカ銀行に投資せしめ、そしてかくしてわれわれから巨額の利益を引き出さしめている。外国人はますます北アメリカ銀行の株主になるように誘導され、そしてこの権力の巨大な発動機が外国の勢力に従属するようになるときが到来しよう。わが国はヨーロッパの諸宮廷の政策によって先導され、そしてアメリカの善良な人民は再びヨーロッパの権力に従属し、隷属する状態に引き戻されよう。いくらよく見ても、株式がアメリカ人の手に限定されているとしても、共和国を支配すべき平等にとってまったく破壊的である。われわれはわれわれの自由な政府の中に北アメリカ銀行が作り出されずにおかない影響力を相殺できる何者も持っていない。そしてわずかの年月の間に北アメリカ銀行の取締役がペンシルヴェニア議会の法令の中にその影響が直接に干渉しているのを感じた。すでに議会、人民の代表は、われわれの紙幣の信用が北アメリカ銀行によって台無しにされるという恐怖に襲われた。そしてこの成長する害悪が続くならば、われわれは北アメリカ銀行が立法府に、いかなる法律を問うすべきか、いかなるものを禁止すべきか指図する時がそう遠くないことを恐れる」。(pp.12-3)
そこで[ニューヨーク銀行の株式の]一部の引受人は法人格がなければ有限責任を享受できないと次のように述べて払い込みを拒否した。「私は引受人である。そして心から、シティの商人だけではなく政府の信頼を持つ銀行が設立されることを期待している。しかし法人格認可状を取得するのでなければ、私は引き受け金額を支払う義務があると考えることはできない。銀行の規則が公開され全員一致で承認された時に、どの引受人もその資本以上に責任を負わないと定められた。それは法人格授与を前提としている。なぜならば法人格の取得がなければその効力は生じない。引き受け金額を現在払い込んだら、株主はすべての目的と意図において銀行家となり、そして各人は−その引き受け金額がいかに小であっても−銀行のすべての約束に、各人の全財産を持って責任を負わなければならない」。(pp.22-3)
1789年7月の請願書は請願理由をおおよそ次のように述べて、銀行の公共性を強調している。”請願者らは1784年にこの市に設立された銀行の株主となった。銀行はそれ以来、住民の利益と州全般の商業の発展のために営業を続けてきた。請願人らは銀行の有益性を明示し、国家の保護に値することを証明したと心ひそかに自負している。しかし会社は私的会社であって各社員は会社の契約に個人責任を負うと考えられており、それは多くの人が引き受けを阻んでいる。そのため銀行の資本の増加は阻害され、それに比例して営業は極言されている。銀区尾の目的の重要なひとつは、特別の緊急の場合に政府を援助することにあるが、以上のような事情から本銀行の現状ではその目的に応えることができない”。(p.24)
北アメリカ銀行においては株主の有限責任については特別の規定がおかれず、マサチューセッツ銀行も同じであったが、特許法人であったので有限責任は当然のことと考えられたものと見られる。ニューヨーク銀行においては最初の時事検証において、株主は銀行に預託された金銭について、個人に対しても公の機関に対しても、その所有する資本の額を超える責任は負わないと規定した。しかし特許を得られず、法人格を与えられなかったのでその効力はないと一般に解されていた。第一銀行においてハミルトンは明確にイングランド銀行の株主の責任を変更した。イングランド銀行においては株主は有限責任が原則であるが、負債が資本を超過したときは株主は債権者に対して比例して責任を負うと定められていた。(pp.110-111.)
同州[マサチューセッツ州]が銀行、保険会社に対する有限責任政策と対照的に、製造会社にたいし無限責任政策を採用した理由としては、次の諸点があげられる。(イ)製造業は銀行、保険などとことなり、無限責任の個人、団体によっておおく営業されており、それと競争関係にたつ有限責任の製造会社の特許は好ましくない。(ロ)銀行、保険業は最初の資本の払い込みを確実にし、貸付金、保険金を制限sるうことによって、比較的安全に営業をなしうる。これにたいし製造業は、予測しがたい市況に左右され危険な営業である。(ハ)製造会社の株主は、銀行、保険会社の株主よりも、共同営業者、能動的投資家の性格を持っている。(p.184)
同州[マサチューセッツ州]でつとに有限責任導入を説いたのはレヴィ・リンカン知事であるが、1829年の不況は企業家、産業資本家をまきこみ、無限責任のために資本は有限責任の州へ移動してしまうと、強く議会に有限責任立法を要求した。リンカン知事も、無限責任は資本を移動させる以上に、マサチューセッツの綿工場の株式を市場においても担保としても無価値とし、多くの家庭の家計を破滅させていると訴えた。議会はそれに応じて、1830年、有限責任の包括的な製造会社法を制定した。1829年銀行法の影響を受けているが、大きな相違点は、公開が有限責任と結び付けられた点である。それは後にのべる1818年のコネチカット法、1823年のメーン法事続くものである。(p.185)
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◆Lowenstein, Roger. (2004). ORIGINS OF THE CRASH: The Great Bubble and Its Undoing. Penguin Pr
= 2005 鬼澤 忍 訳 『なぜ資本主義は暴走するのか「株主価値」の恐るべき罠』 日本経済新聞社 ISBN4-532-35163-4
第1章 「株主価値」の誕生
第2章 すべては株価のために
第3章 貧欲さこそ資本主義だ!
第4章 数字合わせのゲーム
第5章 SECの挫折
第6章 ニューエコノミーへの熱狂
第7章 時代の寵児、エンロンの策謀
第8章 破産者達の群れ
第9章 苦難の年
エピローグ
業界用語に新しい言葉がひっそりと加わった。「株主価値」である。この言葉はどう考えても余計だった。いうまでもなく、会社の価値は総て株主価値である。CEOが支持を集めるべき相手は他にいないのだから。ところがCEOが会社を軌道に乗せるために何かをすると、それは株主という御旗で覆われることがますます増えていった。(pp.16-7)
ステークホルダー運動は、本質的にアメリカの土壌に日本のモデルを移植しようとする試みだった。そこで強調されたのは、企業がさまざまな関係を持続することである。一方市場システムにおいては、そのときの都合で従業員は解雇され、下請け業者は変更され、事業部門はまるごと売却される。ステークホルダーのニーズを取り込めば、コーポレート・ガバナンスにまつわる長年のジレンマは解決するといわれていた。アメリカ企業と社会の利害関係が一致するからである。少なくとも、自由企業の姿勢は穏やかになり、ダーウィン的な過酷さは影を潜めるはずである。しかし、この運動はなかなか実を結ばなかった。ステークホルダーという概念はあいまいだし、法的根拠も欠けていたからである。だが、それだけではない。深い意味で、こうした発想がアメリカ的ではなかったからなのだ。改革者の理想がどんなものであれ、個人主義はアメリカの精神のど真ん中に根を張っていた。(p.19)
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◆大島 国雄 1976 『企業形態論 −動態的比較的展開』 同文館
第1編 総説
第1章 経営学と企業形態論
第2章 企業形態論の研究方法
第3章 企業形態の概念と分類
第2編 資本主義私企業
第4章 私企業概説
第5章 私的企業
第6章 株式会社企業
第7章 独占企業
第8章 多国籍企業
第9章 私企業の変質理論
第10章 現代史企業の経営理念 −日本の実態
第3編 資本主義公企業・協同組合企業
第11章 公企業概説
第12章 公企業革命論
第13章 協同組合企業
第4編 社会主義企業
第14章 社会主義企業概説
第15章 社会主義国有企業 −電気工場の実態
第16章 社会主義協同組合企業 −集団農場の実態
第5編 比較企業論
第17章 資本主義私企業と社会主義企業 −経営理念の比較
第18章 資本主義公企業と社会主義企業 −経営原則の比較
したがって企業の目的を解明するためには、まず企業の経営生産関係とりわけ所有関係から出発する必要がある。しかも事物を相互依存・相互被制約の関係で見る弁証法にあっては、当該社会の基本的経済法則をも考慮すべきである。そのような観点からすれば、資本主義私企業は私的・資本主義的所有を基礎とし、資本主義的・私的目的を中心理念とするところにその特徴がある、ということができる。そしてこの資本主義的・私的目的の内容を規定するものが、資本主義の基本的経済法則である。ところで資本主義の基本的経済法則の特徴は、剰余価値の法則であり、「剰余価値の生産すなわち金もうけ(貨殖)が資本主義的生産方法の絶対法則である」したがって資本主義私企業の目的である資本主義的・私的目的は、実質的には営利目的として規定されうるし、されねばならないこととなる。その意味で資本主義私企業は、営利的商品生産の組織体ということができる。(p.31-32)
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◆鈴木 芳徳 1983 『株式会社の経済学説』 新評社
第一章 アダム・スミスの株式会社論
第一節 スミス株式会社論の意義
第二節 スミス株式会社論の内容
第二章 ジョン・ステュアート・ミルの株式会社論
第一節 ミル株式会社論の得失
第二節 ミルのアソシエーション論 −ミル株式会社論の背景
第三章 わが国における株式会社論の展開
第一節 戦前期における研究
第二節 戦後期における研究
資料 株式会社論邦語文献目録
スミスは、「主権者または国家が行うべき義務」として、「有用ではあるが個人的には利潤をもたらさぬ公共土木事業および公共施設の建設と維持」をあげている。古い時代には、道路や運河といった施設は、とうてい個人では建設することができず、君主や国家が行うべき事業とされたのであった。ところが資本蓄積が進展するにつれ、そういう国家財政の役割を民間経済が肩代わりするようになる。公的領域(パブリック・セクター)から私的領域(プライベート・セクター)への組み換えが行われるさい、私的個人では到底営み得ない事業種類について株式会社形態をとることによって、これが可能とされる、というのである。つまり、国家財政の任務の、私的領域における肩代わりのさいのひとつの方策として、株式会社の意義を認めているのである。(…)
スミスのこの指摘は、いくつかの点で興味ある問題を含んでる。みられるとおり、スミスは、株式会社を、資本の集積・集中から導き出しているのではない。そうではなくて、従来は政府企業だったところの事業が、プライベート・セクターに組み替えられる必要というところから株式会社を導き出している。一般の企業の資本蓄積を促進するための条件として公共的な事業が捉えられ、その公共的な事業を整備するための一方策として、株式会社は有用だというのである。したがって、たとえば製造業のような、生産中枢の株式会社化というのではなく、その生産中枢をとりかこむ社会間接資本(Social Overhead Capital)についてのみ、株式会社化の必要を認めているにすぎない。(p.13)
規制会社の活動は、14〜16世紀を中心とする。それはギルドの後裔と考えられ、ギルドより強力な組織を持つ、外国貿易に関する全国的組織であった。規制会社は、その名の通り、カンパニーが関係した貿易を規制(regulate)するためのものにすぎず、会社が自ら貿易を行ったわけではなかった。カンパニーを構成する個人の商人が、カンパニーの規律に服しながら、かつ共通の特権の保護の下に、自己の資本をもって自己の計算で取引したのである。規制会社にも構成員の加入金や特別徴収金からなる共同使用のための団体財産があったけれども、すべての成員の出資からなる一つの資本を持っていたわけではなく、また、団体として事業を営みその利益を成員に分配するのでもなかった。しかもこのカンパニーの本質は、成員のみが利益を享受しうる独占体であることにあったので、その独占の範囲内で貿易するものは、まずカンパニーの成員となる必要があった。こういう規制会社は、国家にとって利益であった。外国貿易の振興という目的から、商人の団体に特権を与えたのであるが、そのことが関税の成立や監督を容易にした。しかし、逆にこの制度は貿易の拡大を阻止し、競争を抑止する傾向をもあわせもったのである。(p.27)
まず「規制会社」。それは、「適当な資格をもつ者ならだれでも、つまり一定の料金を支払い、その規約に従うことを同意する者ならだれでも、その入社を認めざるをえず、しかもその各成員が自分の資本と自分の危険負担とにおいて営業するばあい」(4、77P)のものであって、「もろもろの職業の同業組合」(corporations of traders)に似ており、それと同種の部類に属する拡大された独占体である」。だから「国家のどのような臣民も、まず最初に規制会社の成員にならないかぎり、この会社が設立されている部門の外国貿易を合法的に営むことができない。」「この独占体がどの程度厳格なものかということは、入社条件の難易に比例するし、また、この会社の取締役たちがどれだけの権威をもつか、いいかえれば、かれらがこの貿易の大半を自分たちやその特定の友人だけにかぎるようなやりかたで運営する実力をどの程度にもっているかに比例する。」すなわち「あらゆる規制会社には、法律が抑制しないかぎり、例によって例のごとき同業組合精神がはびこっている」のであって、「これらの会社がその自然の特性のままに活動することをゆるされていたときには、競争をできるだけ少数の人々に限定してしまうために、貿易を数多くの煩雑な規制のもとにおこうと常に努力した。法律がこれらの会社を抑制してそうさせないようにしたとき、これらの会社はまったく無用で無意味なものになってしまったのである」として、「無用で無意味な」(useless and insignificant)ものとなった理由が述べられている。(p.31)
スミスに立ちかえってみるならスミスの株式会社論は、資本の集中・集積といった論理の延長上に出てきているものではない。国家財政の任務の私的領域による肩代わりの一方策として取り出されている。国家の営む公共的事業は、時の経過とともに国家の手を離れ、資本自体によって営まれる事業領域の中に組み込まれてゆくのであるが、そのばあい個人企業の形態をもってしては営むことのできぬ企業種類については株式会社形態の採用によって可能となりうることをスミスは看取しているのである。(p.46)
スミスの株式会社論の結論は二段がまえになっている。外国貿易の事業が、株式会社にふさわしくないことはすでに述べられていた。では、株式会社の形態をとりうる事業はどのようなものがあるか。第一に、株式会社は、経済人ではなく単なる組織体にすぎない。またその株主も、代理人たる取締役も、信におくに足りない。したがって利己心の発動を期待することはできぬ。<経済人の魂>を各株式会社に委ねられうる事業としては、具体的な活動のルールが単純なものというのが必須条件になる。つまり、「株式会社が排除的特権なしでも成功的に営むことができそうに思われる事業は、そのあらゆる活動を日課(routine)に還元してしまえる事業、つまり、そういう活動を殆どまったく変更する余地のないほうにはまった方法(such a uniformity of method as admits of little or no variation)に還元してしまえる事業である。」つまり「厳格な規則や方法(strict rule and method)に還元しうる」ものでなければならぬ。「この種のものとしては、第一に銀行業、第二に火災・海難および戦後捕獲に対する保険業、第三に航行可能な掘割または運河を開設したり維持したりする事業、そして第四に、大都市への給水というこれと類似の事業がある」。(p.52)
スミスの場合には、株式会社から独占という要素を拭い去ることに大きな力が割かれていた。また、国家の営む公共事業が、国家の手を離れ、株式企業として、私的民間資本の手に委ねられうることが語られた。つまり、独占的株式会社からの独占的性格の排除、公的領域から私的領域へのくみかえが、問題とされた。ところが今世紀にいたって、資本主義経済の発展は、この時期の歴史的過程をいわば折り返すがごとく、反転的にすすんだ。独占を排除するどころではなく、株式会社が巨大独占の担い手となった。公的領域から私的領域への組み換えではなく、私的領域から公的領域への組み換えがすすみ、巨大企業の国有化、公企業化が問題となった。いわゆる二重経済、混合経済、つまり国家独占資本主義と呼ばれるもののことである。歴史のかかる反転的発展の様相との関連においても、スミス株式会社論は検討されるべき価値を有するものと考えられる。(p.59)
ふりかえってみれば、スミスの株式会社論は、限定の枠を堅く定めた、限定的条件的株式会社論であった。それゆえに、スミスの諸説は、「特権主義」の手中とされた。これにたいしてミルは、株式会社についてスミスの付した限定枠を、すべてとりはらうものとして登場する。肯定的で楽観的、積極的で一般的な株式会社是認論である。ミルは、さきに記したような、時代の二重の実現に応えねばならなかった。その現実の二重の要請を、それとしてどこまで自覚的に認識していたかはともかく、ミルは、一方では「準則主義」の旗手として、株式会社設立の自由を説きつつ、他方では、将来社会への期待を込めて、アソシエーション形成の自由を説いた。あるべき「社会」形態の模索の中から、「会社」形態(広義の)の導入をとなえ、「会社」形態(広義の)の中に、将来あるべき「社会」を探し求めたのである。(p.67)
ミルが株式会社に期待するところは、窮極のところ、労働階級の状態の改善にある。そのための手立てとして、株式会社制度の整備が望まれた。株式会社法は万人ためのもの、これを積極的に利用しつつ協同組織もまた発達できる、と考えたのであった。けれえども、其のミルにしても、他方において「共同の原理」の増進についての危惧がないわけではなかった。第四篇第七章の六「労働所階級の将来の見通し」において、「人類の将来については、まことに前途洋々」と述べるミルが、同時に、「協同組合の理事者たちの積極性と警戒心とが低調になる」場合があることを懸念し、個人企業は「もしもかれが才能のある人間であるならば、ほとんどいかなる共同組織よりもはるかによく、合理的な危険をおかし、費用のかかる改良をはじめて実施するもの」と高く評価し、当面における両者並存の必要を説くのである。ここでも、協同組合への期待と、これにまつわる一抹の危惧が共存し、並行して語られていることは注意されてよい。(pp.105-106)
ミルの株式会社論についていうと、経済理論としての株式会社論としては、見るべきものは殆どない。資本蓄積・資本集中の帰結としての株式会社論は存在しない。そのために、株式会社制度の将来についてのミルの思考は、かなりの幅をもってゆれており、確たる映像を結ぶに至っていない。ミルのばあい、存在するものは、市民社会的な制度的機構に過ぎない。株式会社は、いってみれば、中立的中性的な、万人によって利用されるべき外在的「組織」としての扱いを受ける。そのうえで、ミルは、この「組織」を、アソシエーション形成のために利用しようと考えた。(p.139)
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◆小島 昌太郎 1958 『比較株式会社形態論』 有斐閣
第T部 株式会社形態の成立
第1章 原始的な企業構造
第2章 先駆的な企業構造
第3章 法人企業の成立
第4章 株式会社制度の受難
第5章 株式会社制度の錬成
第6章 株式会社制度の確立
第7章 非営利の企業形態の発展
第8章 公企業形態の発展
第U部 株式会社の諸形態
第1章 特徴
第2章 性格
第3章 設立
第4章 資本
第5章 株主
第6章 機関
第7章 株式
第8章 株券
第9章 配当
第10章 社債
第11章 財務
第12章 合併
第13章 整理
第14章 更生
第15章 解散
ギリシアに就いて知られているところでは、所有資本の全部を提供するものと、業務の執行にあたるものとが共同して事業を行い、その利益は、双方の合意によって、分配するところの、組合(hetaireia)が多く行われたことである。そのなかで、租税徴収組合というものは、租税および消費賦課金を徴収するの請け負い事業を営むもので、都市国家が、かような組合の組合員の一人と契約をなすのであって、業務は、もっぱら、このものの責任において行い、他の組合員は、国家に対して、なんらの責任を負わず、ただ、おのおの、所用資金の一部を提供するのである。この出資組合の権利および持分は、譲渡しうるものであったか、いなかは、分かっておらず、また、請負者に対する出資者の責任は、有限であるとの説があるけれども、その点も明確ではない。(p.14)
ローマにおいては、societas(組合)が、いろいろな目的のために、広く行われた。このsocietasは営利を目的とするものであっても、非営利の事業を目的とするものであってもよい。Societasは、もとより、法人ではない。Socii(組合員(複数))は、組合の内部関係を任意で定めることができるのであるが、特別の定めをしないときは、おのおの、資本も労務も、均等に提供しなければならず、利益も損失も均等に配分しなければならない。また、特別の委任がなければ、socius(組合員(単数))は、相互に代理権があるものとは認められない。したがって、1人のsociusが第三者とした取引については、あらかじめ、認められているか、または、あとに追認せられるのでなければ、それについて彼みずからが責任を負うのである。societasの財産は、各sociusの共有に属するが、彼らは、societasの債務に就いては、連帯の責任を負うものではない。ただ銀行業を目的とするsocietasにあって、相手方との明示の約束がある場合は、または、数人のsociiによって行われた不法行為に就いて法律上責任を負う場合は、例外として、これに関与したものは連帯である。Sociusは、なんどきでも、sociusの権利を遺棄できる。これは、societasの存続期間が定められておっても、差し支えはない。一人がこれを遺棄すれば、societasは解散となる。遺棄の権利を否認する契約があっても、それは無効である。しかし、遺棄がsocietasに損害をおよぼすときは、その賠償の責任がある。(p.15)
Reedereiは、常に、船舶共有と結びついたものであったが、commendaは、必ずしも、これと結びついたものではなくなり、資本家が海外貿易を営まんとするのに、商品もしくは金銭をもって、出資をなし、貿易に従事するものが、もっぱら、その業務の執行にあたり、その利益は、航海の終了とともに、計算して、当事者の定めた割合において分配するしくみのものとなった。commendare=cum-mandareという言葉は、古代において、委託という意味で商業用語として、用いられており、中世イタリア語では、この出資の委託をcommendacioというとのことである。Commendaは、多くこの資本家と事業家との結合のものとなった。(p.18)
イギリスの国民経済は、13世紀半ばごろまで、かような事情に支配せられておったから、新たな商業や工業は、むしろ、外国よりの来住者によって営まれた。ロンドンにおいて、貴金属商(両害をも営む)や貿易港や工業は、外国人の支配するところとなっていた。当時外国貿易は、フランス人やイタリア人の活躍により、次第に隆盛に向かいつつあったのであるが、guildの組織をもってしては、自国の貿易港を、自らの手に奪回することは不可能であった。それゆえに、多数の貿易業者の事業を統制して、これを一大勢力たらしめるために、guildの組織を、海外貿易に応用して、最初は、羊毛輸出について、あとには、毛織物の輸出に就いて、特許を受けて、当業者を統制するところのregulated company(統制会社)が設立せられた。そのうち有名なものは、羊毛輸出に就いてのThe Compnay of the Stapleと、毛織物輸出に就いてのThe Company of Merchant Adventuresとである。イギリスにおける法人たる会社は、かくのごとくにして、はじめて生まれたのである。(p.27)
この会社が、いわゆるThe East Indea Compnayであって、その資本金30,000パウンヅ、設立時の出資者218名で、その組織は永久であり、その構成員は不変のものとせられた。しかし、当初は、出資は各出資者ごとの計算において1航海に対してのみのものであり、航海が終われば、利益の分配が行われ、計算を終了し、さらに、次の航海に新しい出資が需められる建前であった。出資者は貿易業者に限られた。会社の常置的経営首脳者は、1人のgovernor(総裁)と、24人よりなるCommittee(委員)である。(p.33)
しかるに、19世紀に入って、経済界が活況を呈するの情勢をもたらすにおよび、多くの会社が、特許を受けることなく、いわゆるunicorporated company(法的人格のない会社)として設立せられた。ことに、産業革命により、鉄道・海運・工業等において、巨額の資本を要する機械および動力機関の採用が促されるようになってからは、とうてい、個人企業や組合企業は、この時世の要求に応ずることができなくなった。(p.45)
当時の[アメリカの]設立特許制度について、各州を通じてイギリスと異なる特徴は、多くは、期限付きのもので、普通は10年であったことと、また、設立特許は、州と会社とのcompact(契約)であったという考えがあったことである。この、設立特許は州と会社との契約とみなされ、相互の同意なくしては、これを変更しまたは廃棄することはできないものであるという考えは、後に、最高裁によって憲法の保障するところであるとして、確認せられ、その後も守られていることころである。そして、当時においては、また、法人は法人を作ることができない、という考え方も行われていたから、ひとつの会社は、他の会社を設立することができないともなされていた。(p.62)
いま、その史的発展のあとをかえりみるに、株式会社におけるもっとも主要な基本的な構造は、三つであるが、それらは、いずれも、遠く、中世の企業形態のなかに、区々発生しておったもので、それらが、資本主義の発達とともに、巧に組み合わされて、株式会社を構成するにいたったのである。その基本的なみっつの構造というのは、@永久資本の上に永続的な存在をもつこと、Aこの永久資本を構成するために醵出する構成員の出資は、持分として会社資本の外にあって、自由に譲渡しうること、Bおよび、構成員の会社に対する責任は、有限であって、その引き受けた出資の額を限度とするものであるということである。しかるにこの永久資本の萌芽は家族相続によるcompagniaの基礎たる相続財産において、これを見ることができ、持分の自由譲渡はreedereiにあるところであり、有限責任の制度はcommendaに存したものである。株式会社は、古くより存在したこれらのものの統合的発展の上に構成されたものである。(p.86)
すでに、株式会社の成立の歴史においてみたように、2人以上のものによって構成せられる企業の最初の形態は、経営者(貿易に従事するもの)と資本家との結合であるcommendaであった。このcommendaというものは、貿易に従事するもののみの資本をもってしては、事業を行うに足らなかったから、さらに資本的協力を求める必要から、この構造ができたものであるは、疑いのないところであるけれども、さらに、当時の異国貿易は成功のばあいに、すこぶる利益多きものであるとともに、航海および治安の点において危険も多く、これを分担する必要からも、その成立がうながされたものである。
この経営と資本との分離した原始的企業の構造のかたわらにおいて、2人以上のものが、その経営にも資本にも相協力する関係をもつ構造のcompagniaたるものも、協同相続によって生じたのである。このcompagniaにあっては、後のドイツの法概念において危険も多く、これを担当する必要からも、その成立が促されたものである。このcompagniaにあっては、後のドイツの法概念においてGesamthand(含有)として意識されたものが、それの基礎となっているのであった。含有ということは、共有(Mitbesitz,Miteigentum)と異り、分割することなき関係において、複数人が財産を共有することであって、この財産所有につき、組合として在範囲において、権利義務を持ちうるのである。これらふたつの原始的企業の構造は、広い意味における組合であって、構成員の全員か、または、そのうちだれかが、第三者に対しては、後の法概念における無限責任を、負うものであった。そして、法概念の発達とともに、compagniaは、合名会社となり、commendaは、合資会社となった。これらは、組合として、ひとつの名称を持って、取引することができるのであるけれども、前者にあっては、組合員の全員が、後者にあっては、業務の執行にあたるものが、相互に他の代理人たる関係にあり、かつ、連帯して無限の責任を負うものである。(pp.101-102)
単なる組合は、資本を集め、危険を分散するの作用がある点において、個人企業に勝るところがあるけれども、取引関係において、第三者の立場よりいえば、権利義務の帰属について不明確なる欠点がある。組合みずからが、組合員を離れて、権利義務の主体たることが確立すれば、かかる欠点は除かれ、取引関係が明快となり、企業としての活動も容易となる。Compagniaやcommendaから発達した企業構造に、含有関係において、または、これを法人として、権利義務の独立の主体たることを認めたのは、この理由によるのである。(p.102)
イギリス法においては、このような、associationとしては、partnership(組合)と、このcompanyとがある。両者の区別は、前者は、相互信頼の関係ある比較的少数の特定人の集団であって、各々が他の構成員のagent(代理人)であるという法律関係の上になりたつものであり、後者は、多数の、入れ替わりをする不特定の構成員よりなるところの、甚だ複雑な組織を持つ集団であって、これにcorporate personality(社団的性格)を与え、legal person(法人)と認め、構成員とは離れて、associationそのものに、権利義務の主体たる資格を与えることが至当であるとせられるものである。(p.109)
法人という法観念の成立は、複式簿記の発明と、あいまって、さきに述べたように、団体そのものの会計と、それの構成員の会計とを明確に区別して取扱うことを可能ならしめ、構成員の有限責任と、その持分の自由譲渡という株式会社の基本性格を確定したものである。そして、それは、大体15世紀の半ごろのことであったから、株式会社という法的人格を持ったものができたもの、およそそのころのことである。かのguildのごときは、すでに、11世紀の初め、イギリスにおいて、ノルマンの征服ありたる後、法的人格が与えられたということであるが、当時は、いまだ、複式簿記の方法を知っていなかったから、法的人格を持つ会社組織の企業は、存在しなかった。
イギリスのcompany limited aby sharesは、違法の事業でなく、また、公の政策に反しない事業であるならば、いかなる事業をも目的とすることができる。ゆえに、それは、経済事業や営利を目的とする事業に限らない。宗教的・芸術的・文化的・慈善的・福利厚生的・医療的事業を非営利の目的をもって行うのも、company limited by sharesとして設立することができる。(…)アメリカのstock corporationが法人としてもつ権能(corporate authority)は、charter(特許)または、その設立の準拠法たる特別法または一般法、ならびに、そのcorporationに適用のある他の法規、および、そのcorporationのcertificate fo imporation(基本定款)によって、定まるところである。(…)Stock corporationは、営利的経済事業を営むことを目的とするものにかぎられる。非営利事業を営むことを目的とするものは、さきに述べたnon-stock corporationである。フランスのsocieété anonymeは、いかなることを目的とするにしても、socieété commerciale(商業会社)であり(L. 1867, art. 68)、それが営利を追求する(rechercher des bénéfices)ものである点において、association(民法上の組合)と異るのである。(…)ドイツのAG.は、Vollkaufmann(完全な商人)であるとともに、この形態をとる法人は、それだけで、Formkaufmann(形式上の商人)である。この点、我が株式会社と同じである。しかしながら、AG.は、必ずしも、営業を目的とするものに限るのではなく、純粋の精神的目的のものであってもよい。また非営利を目的とするものであってもよい。たとえば、民衆劇場、民衆食堂、民衆浴場の如きも、その目的とすることができる。このようなAG.はAG. mit idealen Zweck(精神的目的をもつ株式会社)といわれる。この点は、我が株式会社と異なるところである。(pp.140-141)
株式会社の資本が、永久資本の性格をおびるようになったということは、発展的にいえば、さきに述べたように、むしろ、逆に、永久資本なるものが成立し、存在しうることになったことにより、株式会社というものに、永久の存続性を与えるにいたったというべきである。株式会社は、法律上よりいえば、それが永続性をもつのは、法人であるからであり、また、存続期間が定款をもって定められていても、その到来に際して、これを延長せしめうるものは、定款の変更という法定の手続きである。ゆえに、株式会社の永続性は、資本にある。資本が、永久資本の実質をそなえるにいたって、株式会社なるものが、実質的な永続性をもちうるにいたったのである。(pp.216-7)
これら[フランス東西インド会社]は、いずれも海外貿易における国策会社であり、国家任命の総裁によって経営せられたのであった。これらの会社は、いわば準国営会社であり、私的企業たる株式会社ではない。しかしその構造は、ほとんど、これに近いものであったから、これは近代的株式会社の先駆形態と盛ることができる。これより以前の、初期の株式会社は、でき上がっていなかった。それらは、多くは、当時の海外貿易に従事したもので、暫定的存在のものであった。すなわち、当時のヨーロッパにおいては、東洋は宝の山のごとく考えられ、東洋貿易は、到富の捷径であると思われていたから、これに興味を持つ多数のものは、おのおの資金を醵出して、貿易資金を作り、これをもって、東洋貿易を試みたのである。そして、その組織は1航海をもって解散し、損金を分配したのであるから、まったく暫定的な企業形態であり、その資本も暫定的な結合に他ならなかった。当時、かかる企業はh、merchant adventureといわれた。(p.219)
今日の法律において、株式会社の公開性について、直接の規定を設けるものは、ドイツ株式法が《取締役は、自己の責任において、事業およびその従業員の福祉、ならび、国民および国家の共同の利益の要求するところにしたがい、会社を発揮しなければならない》というものくらいである。しかしながら、諸国の法律が、株主および会社債権者の個々の権利を、いくらか抑圧しても、会社の存続を保たしめるために、会社の整理について、特別の規定を設け、また、わが国のように、とくに、会社更生を制定するもののあるのは、それが、単に、会社の私的立場を保護するものではなく、むしろ、その公共性を反映したものとみるべきであろう。
また、かつては、みずから大部分の株式を有するものが、経営責任者となり、その財産的利害関係をもって、彼らと会社との利害を一致せしめるという私的性格が強いものであった。しかし、今日、株式会社が、いくぶん公的性格を帯びるものとなり、社長・会長・取締役その他役員等が会社においてもつところの地位は、単にその会社の内部における地位たるにとどまらず、それは、また、社会におけるそれぞれの社会的な地位ともなっている。この社会的地位をもって、会社の経営に当たることは、私利を顧るのいとまなからしめるばかりでなく、会社そのものの利益とともに、あわせて社会公共の利益をも、考慮せざるを、えざらしめることになってきたのである。
株式会社の資本は、かように、永久資本となるとともに、その本来の出資者たる個々人の所有者の支配を離れ、それの運用は、少数の経営責任者によって公共の利益を考慮して行われることとなり、それの保全は、彼等の社会的地位にかかって護られるものとなった。永久資本は、かくて、次第に、公共性を帯びて、社会的資本とならんとしつつある。(pp.224-225)
初期の株式会社は、多くは、今日のように、永続性をもつ資本を基礎として計画されたものではなく、むしろ、ひとつの航海を目的として資本を集める立て前[ママ]であったから、1航海の貿易の終了とともに、清算をして、利益の分配を行うしくみのものであった。そしてその計算は、数年の後に終了することもあった。たとえば、かのEast Indea Companyの前に存在した多くの貿易会社は、みなそうであった。East India Companyのごときも、1600に設立せられたのであるが、その最初の配当は、1661にいたって行ったのである。(p.292)
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◆富山 康吉 1969 『現代資本主義と法の理論』 法律文化社
T 所有の矛盾の展開と私法
第一章 商品所有権と資本所有権−現代所有権法の理論のために
第二章 信用制度の法的側面
第三章 証券経済と法学
U 株式会社と法
第四章 アメリカ会社法における既得権理論の変遷
第五章 株式と資本所有の論理的構造 −株式債権論の検討と批判
第六章 所有と経営の論理的矛盾とその発展 −私的所有の発展形態としての株式会社とその法理
第七章 株式会社における「社会化」の意味
V 戦後の企業と法
第八章 戦後会社法の変貌の社会的背景
第九章 経済体制の展開と商法
第十章 許認可行政と競争経済
W 現代経済法の国民的課題
第十一章 現代の法と経済
第十二章 経済法の課題
第十三章 現代資本主義と独禁法の課題
第十四章 独占禁止法の再確認
第十五章 経済体制と法の課題
後章 資本主義経済と法
アメリカ会社法において、株主の地位の確保ないし株主の利益の確保につき、中心的な役割を果たしてきた理論として、vested right(既得権)理論がある。それは、株主が会社の基礎的組織の維持について有する利益や、議決権・利益配当請求権などの株主の基本的権利を既得権として想定し、これらの既得権とされる権利は株主の意に反して奪いえないのであって、原始定款にあらかじめその旨を定めおいておかない限り多数決によって変更することは許されず、かつ多数決による変更を許容する州法は違憲であるという理論である。ドイツ会社法における固有権理論に相当するが、それよりもさらに強力なものである。この理論は19世紀の前半期に形成され、その後開始されたいわゆる株式会社の構造変革の中にあってよりその意義が強調されつつ、近年までその生命を保ち続けた。だが、やがてはその適用範囲が縮減され、ついには、既得権理論そのものの衰退とこれに代わる新しい理論の登場をみるに至ったのである。(p.55)
かくして「会社の基本定款は、州と会社、および会社と株主(または株主相互間)の契約の基礎であり、州と会社との契約によって会社に法人格が与えられ、会社と株主(または株主相互間)の契約によって株主の権利が発生する。」という、いわゆるコンモン・ロウ上の契約的理論が、信託的理論に代わって、株式会社の中心的法理として確立されたのである。ところで、これらの判例は、契約的理論を形成するとともに、いわゆる株主の既得権理論の形成の基礎をもつくりあげたものであった。アメリカの連邦憲法には、「州は契約上の義務を侵害するような法を制定してはならない」と規定しており、契約から発生した個人の権利は法によって侵害されえない既得権だとされている。前述のTrustees of Dartmouth College caseは、charterが州と会社との契約であることを宣言すると共に、この連邦憲法の規定を援用して、州によるcharterの一方的な廃棄ないし変更はできないという原理を確立した。また、多数当事者間の契約については、契約の条項の変更はすべての契約当事者の同意なくしてなしえないというのが英法上の伝統的な法理である。右の法理との関連から、すべての株主の同意なくしてcharterの変更その他企業の規模ないし組織の重要な変更はなしえない旨を宣言したものであった。更にその後、アメリカ判例法は、Livingston caseの原理をより発展せしめ、「株主の権利は会社と株主との契約から発生するが、その契約の本質は出資を対価として利益配当および残余財産分配に参加する権利が与えられる契約であり、株式とはこうした契約から発生する財産権である。そして議決権も、株式なる財産権を保証するための不可欠な手段として株主権に固有の要素であり、それ自身株主と会社との契約から発生した財産権である」という法理を形成するとともに、かかる利益配分請求権や議決権などは、さきに述べた株主が企業の組織の維持について有する権利と同様に、株主の合意なくして奪いえない権利だとしたのである。かくして、以上の諸原理の綜合のうえに「株主が会社の基礎的組織の維持について有する利益や株主の利益配当請求権・議決権などは、既得権なのであって、その株主の意に反して変更することはできず、またこれらの権利の多数決による変更は州の立法によっても許容し得ない」とする株主の既得権理論が形成されたのであった。(p.58-59)
さきに述べたとおり、19世紀の前半期は、株主の権利についての諸制度が一応の体制的整備を進めつつあった時期であった。それは、株主の権利に関する諸法理についても、より体系的なものを要求せざるをえない。「株主は受益者としての地位をもつ」というかつての信託法的理論よりも、「株主の権利は会社と株主との契約から発生する」となし株主の権利を契約上の権利として構成する契約的理論のほうが、株主の権利関係をより明確化しうるものであり、またそこから株主の権利のさまざまな面に関する諸法理をも契約論的に構成し演繹することによって、株主権に関する諸法理の体系化をもなしうる理論であったのである。(p.62)
かつて、19世紀においては、議決権は株主権に固有の要素であり排除することのできないものと考えられていた。これは、機能資本家的結合という色彩の強い当時の古典法株式会社にあっては、当然のところであった。しかるに、その後次第に、議決権が株主権から実質的には分離さて行くという傾向が生じたのである。まず、すでに述べたように、株式会社の巨大な資本の集積・集中は、社会的な遊休貨幣、ことに大衆の手元にあるそれを動員し吸収してゆくことによって行われたものであった。いいかえれば、さきに述べたところの多数決原理の浸透を生じた株主の数の増大は、具体的には、一般株主の数の著しい増大に他ならなかった。ところで、多数決原理の浸透は、少数の大株主が株主総会の多数決を通じてなす企業の独占的支配を確立せしめているのであり、一般株主は企業の経営から実質的には排除されている。それぞれの一般株主が有する零細な議決権はそれを行使しても何の意味をももたないのであり、またかかる一般株主は企業の経営への意欲を喪失している大衆的投資者にすぎない。(pp.71-72)
かくて、株主の権利の変更に関する問題は、既得権理論の問題ではなくなった代わりに、右のfiduciary relation~導き出されるequity的考慮の問題とされるところとなった。すなわち、制定法によって取締役会や株主総会(その多数決)に与えられたshare contractの変更権は、一応絶対的かつ無制限なものとされ、ただ、fiduciary relationとの関係から、当時の変更が不公正なものであってはならない、とされるのである。そして、その「不公正」とは、たんなる不公正というだけではなく、詐欺または解釈上の詐欺とされる重大な不公正の事実を要する。さらに、その立証は、変更によって損害をこうむる株主の側からなされなければならない、とされている。(p.85)
そして、会社全体の利益を一般株主の保護より優越せしめてゆく傾向は、一般株主の利益ということ自体をも「会社全体の利益」なる理念そのものの中に吸収してゆき、取締役や大株主がかかる意味における「会社全体の利益」のためにその権能を行使しなければならないということを、fiduciary relationの究極の内容とした。したがって、"business exigency"ないしは"benefit of the corporete group as a whole"のためになす株主の権利の変更は、もはや不公正なものとはされないのである。ところで、取締役や大株主は、企業の複雑な経営財産状況に通暁している一方、一般株主はかかる企業の状態の微細まで知らないのが通常であるから、取締役や大株主にとって"business exigency"のあることを示したり、また、"business exigency"を示しうるような状態をあらかじめ人為的に作り出しておくことも困難ではないのであって、かかる名目にかくれて一般株主の利益の排除・収奪が行われる危険も多いところなのである。(p.86)
「会社全体の利益の受託者」という理念は、理念としては美しいものである。だが現実の株式会社は、冷酷な利害の構想の場でしかない。すでに述べたように、19世紀から20世紀にわたる株式会社の歴史は、一部の大貨幣資本家(大株主=取締役)が、株式会社に集中された社会的な資本に対する独占的支配を確立する過程であり、またその社会的な資本から生ずる利潤の独占的収奪(大衆株主の利益の剥奪)を繰り返してゆく過程であった。そして、かかる過程を貫くところの、より多くの利潤をという「資本」としての意思が、「会社全体の利益の受託者」という倫理を自覚することによって弱められるというような期待には、なんらの根拠も発見しがたいところなのである。(p.86)
要するに、私的所有が資本として機能を貫くために、私的所有ががんらい個人的・分散的な独立した所有であることを自ら否定して、「社会的」な資本として結合されなければならないという矛盾は、とくに小所有にしわよせられて小所有の否定のかたちで止揚され、またその結合された資本において、結合された複数の所有の意思から単一の経営思想を形成しなければならないという矛盾は、とくに小所有についてその私的意思の否定によって止揚されるわけである。私的所有の自由にもとづきつつ、その反対物として小所有の否定と大所有の独占的支配の形成、これが所有の「社会化」の一側面をなしているのである。会社法学の世界において、しばしば株主の利益にたいする会社全体の利益とか、個体の利益にたいする団体の利益という言葉が使われているが、このような言葉で表現される利益対立の実質的内容として、小資本の利益と大資本の利益との対立がうらにひそめられていることを見落としてはならないだろう。
1662年の条例は、今日、われわれがいうところの有限責任、すなわち<会社が負う債務についての株主の>責任を問題にしているのではない。しかし、株主の個人的債務が会社財産に及ぶ場合があることが危惧されているように思える。(…)株主個人が破産状態に陥り、株主個人にたいする債権者が株主の持分たる会社財産からの支払いを求めることができるかどうかという点にある。「しかしこのようなことが認められると、会社は株主個人の破産によって容易に解散に追い込まれるから、会社の永続性を保障するためには、この意味での『株主の無限責任』は排除しておかなくてはならない。」それは今日言うところの有限責任の問題ではない。リトルトンもいうように、「『有限責任』という用語は、会社資産が不十分であって自分が損失をこうむるおそれのあることを債権者が知っていても、株主が応募額を全額払い込んでしまったあとにおいては、債権者は株主の私有財産に手を伸ばすことができないという点に条件づけるべきである。」ガワーによる次のような整理は、ほぼ的確な結論といってよい。(p.223)
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◆新山 雄三 1970 「19世紀プロイセンにおける株式会社の法的地位についての一試論」,『岡山大学法学会雑誌』20(2) pp.1-32.
事実ドイツにおける産業革命期とされる19世紀の40年代から70年代の最初の10年間において、1835年に建設された、Nürnberg-Fürth間のドイツ最初の鉄道以来、飛躍的な発展を遂げている。しかるにかかる鉄道建設については、言うまでもなく大量な固定資本の投下が前提とされるのであり、資本主義的発展の長い歴史を有し、個人的な資本蓄積の進んでいるイギリスに比較し、個人的資本蓄積の貧弱なドイツにおいては、その前提を作り出すために何よりも社会的資金を集中せしめる、新しい資本結合方式すなわち近代的株式会社制度の導入普及が強く要請されたのであった。しかも当時のプロイセンにおける鉄道建設に対する積極的推進主体となったのが、@部分的には消極的見解もあったが、その大半が全国市場とのつながりを求めたユンカー、A流通経路の再編を求めた商業資本家層、B外国とくにイギリス、フランスの先進資本主義諸国との競争の激化の中で、国内市場の急速な形成を求めた大工業ブルジョアジーなどであったことは、国家に対する影響力の点からすれば極めて大きなものとなりえた。さらに加えて国家当局自体もまた、鉄道の持つ軍事的意義の認識を当時の情勢の中で深めたことも推進の一要因たりえたといえる。(pp.16-17)
かくして1838年11月3日に鉄道企業法が公布されるに至った。もとよりこの法律は鉄道企業にのみ関するものではあったが、およそドイツにおける最初の株式会社に関する法律であった。本法の内容的特徴は、まさしく規制と保護育成の両面を有するものであり、その大半は国家ないし公共の利益との関係についての規定であったが、そのことはまさしく本法の持つ基本的性格、すなわち封建的絶対制国家における、国際的国内的諸圧力に対応した、上からのブルジョア化政策の一環としての性格を反映するものであった。(p.18)
しかしながらこの点については、前述の1845年4月22日の訓令が、無記名株式発行に対する一定の条件を課していることに注目せざるをえない。すなわちそれによると、無記名株式を発行する株式会社の認可に就いては、例外的にのみ許されるべきであって、主として次のような観点に立って行われるべきであるとする。すなわち、「企業が、イ)地方的な活動と有用性の範囲を越えて、公共の福祉というより高い利益にとくに貢献するかどうか。 ロ)そのような株式の発行という形態をとらずには遂行されえないのかどうか。 を基準として判断されるべきである」とする。このことはすでに1838年鉄道企業法における株式制どのところで触れた。無記名株式制度による資金調達に対する、プロイセン政府の消極的態度の延長であり、この命令はまさしく鉄道株式会社を含む株式会社の認可における遅滞を予告するものであり、一旦認めたところの私的な資金調達方法への、さらにはまた一般的に私的な経済活動全体への露骨な官僚的干渉であったといえる。(p.107-108)
1838年鉄道企業法はおよそ内部組織に関するといえるような規定は、一切有していなかった。そのことは多かれ少なかれ本法においてもあてはまる。ただ若干触れておかねばならないのは、第一に取締役(Vorstand, Vorsteher)という言葉がはじめて条文上に登場したということであり(19条-25条)、さらに取締役は株主の代表ではなく、会社の代表者でありしたがって株主は会社の債務に対して個人的に責任を負うものではなく、会社財産のみが責任を負うということであり(16条、20条)、かくして会社の業務は「定款の規定によって任命された取締役会によって経営管理」されると規定していることである(19条)。(p.108)
そのことはなによりも先ず第一に、一般ラント法体系の下においてにせよ、1836年鉄道企業法および1843年株式会社法の下においてにせよ、その司法上の独立した社団的権利主体としての株式会社の設立には、程度の差こそあれ、基本的には常に国家による干渉が要件となっていたことである。(p.113)
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