> うまなり[Home] / 信仰と経済
Religion & Economics
>top
◆山本通 (1994) 『近代英国実業家たちの世界 資本主義とクエイカー派』, 同文館 ◆Weber, Max. (1920). DIE PROTESTANTISCHE ETHIK UND DER >>GEIST<< DES KAPITALISMUS.(大塚久雄 訳 1989 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』, 岩波書店) ◆Wesley, John. (1984). The Works of John Wesley. by Albert Cook Outler (ed.)., Nashville, Abingdon Press. (藤本温 訳 1995 『ジョン・ウェスレー説教53』, イムマヌエル総合伝道団教学局)
>top
>top
◆山本通 (1994) 『近代英国実業家たちの世界 資本主義とクエイカー派』, 同文館
ここで確認したいのは、フォックスが富の取得自体を罪悪視していないことである。問題は、その方法にある。むしろ彼は、「内なる光」に導かれた正しい経済活動は、正しい心を持ったすべての人に是認されるだけでなく、神に栄光を与えるのだ、と考えている。すなわち、正直で誠実な経済活動と信仰とは、手を取り合って「正義の道」を歩むのである。そしてそれはまた、富への道でもあった。フォックス自身の言葉によれば「正しい度量衡と、決められた約束と日付を守ることによって、また、神の力とおまえたち自身の心の内なる神の精霊によって、またすべての人の心のうちで評判を博する」というわけである。(p.94) つぎに商品売買の問題については、クエイカーたちがほかに先駆けて「定価小売価格(fixed retail prices)」を導入したことはよく知られているが、これは、クエイカー派指導者がそのトラクトの中で論じたように、「内なる光」に導かれる商人は「公正価格(fair price)」を確信しうると信じたからであった。(・・・)したがって、クエイカー商人たちは、「内なる光」によって教えられたと自認する「公正価格」を「定価」としてマーケットに赴き、自分の言い値を譲らず、定価をめぐる通例の売り手と買い手の間の交渉には応じなかった、と考えられるのである。このことをフォックスが次のように述べている。「最初は、・・・おまえたちが高潔な態度をとり、簡潔な言葉を話し、言い値で販売したときに、人々はお前たちを敬遠した。だがいまや、・・・人々は、おまえたちが彼らをだましたり、不正をしたり、抑圧しないことを知っているから、お前たちを信用したいと、皆のいる前でいう。彼らの間あで大声で言われているのは、『これこれしかじかの商売をしているクエイカー派どこにいるか』という叫びだ。おお、だから、大いなる受難を通して人々の信用を手に入れたフレンズよ。神がお前たちに与えたもうたこの大いなる恩恵を、失わないようにせよ。そして、すべての人の内なる神の証に答えなさい」(pp.95-96) すなわち指導者たちは、職業を神によって定められた転職と意識し、経済活動を隣人への奉仕として遂行すべきだと教えた。商取引においては簡潔な言葉遣いを守り(すなわち定価販売の遵守)、営業の奉仕においては、自己の営業状況を常に自覚し(すなわち自己審査の勧め)、自分の資力を超えず、負債を避け、しかも日々勤勉に仕事に打ち込むよう、説いたのであった。(p.97) クエイカー派はその成立当初から、その信条のゆえに「世間」から白眼視されてきたのであって、とくに王政復古期には激しい弾圧にさらされた。名誉革命以後は弾圧は終わったが、差別は続き、またクエイカー派自体が、閉鎖的な「特異な人々」の集団になっていった。このような状況の中で、クエイカー派の指導者たちが「世間」に対する面目や信用の確保に非常に敏感になったのは、少しも不思議ではない。クエイカーたちを「世俗内禁欲」に向かわせた最大の動機は、「世間」の白目眼の中で「キリスト友会」の面目と信用を保つべく、指導者たちが普段の配慮を怠らなかったことである、と私は考えている。だが、この論点は、信徒たちに対する管理の実態を次節でのように具体的に検討した上でなければ、実証されないであろう。クエイカー指導者たちの著作の中では目立たないけれども、ロンドン年会の公式書簡の中で強調された論点の第二番目は、「慈善のすすめ」である。慈善の実践は、たとえば1792年の公式書簡において「キリスト教の義務」だと表現されているが、その基礎になっているのは、クエイカーたちが当初から一貫して説き続けている「隣人愛のすすめ」である。また、「慈善のすすめ」は「経済活動に関するすすめ」と分かちがたく結びついている。すなわち、公式書簡の中では、簡素な生活態度を維持することによってキリスト教の義務たる慈善を実践すべきことが明瞭に説かれている。(pp.98-99) プロテスタント諸派の指導者たちが「禁欲的」職業倫理を説いたのは、中産階級とりわけ年の商工業者たちがその信徒になったからだ、という議論はいかにも平凡にみえるかもしれない。しかし、これままさに正当な議論である。英国の非国教徒諸派の支持層が年の商工業者であったことは常識に属するが、英国クエイカー派も、18世紀はじめまでには都市の商工業者の宗教になっていた。日々の営業状態の自己検査、時間厳守、定価売制の採用、勤勉、節約、正直といった諸項目は、「市民革命」以後のいわゆるマニュファクチュア期の商工業の実践にとって最適の徳目であったからこそ、指導者たちによって熱心につすめられた。また指導者たちにとっては、これらの徳目の実践によって信徒たちが世俗的にも成功していくことは、世俗から常に白眼視されている非国教と(かつてのピュアリタン)の教会の評判を高め、「神に栄光を増す」ことになるのだから、大いに歓迎すべきことであった。(p.105) 18世紀末から、福音主義やユニテリアリズムの影響を受けたクエイカー派実業家たちが、奴隷貿易反対運動や禁酒運動、さらには監獄改善運動などに活躍し始めた。しかし、彼らは個人として活動していただけであって、キリスト友会としての公式の社会・経済観の表明はいちども行われなかった。社会・経済問題に対して友会が正面から取り組むようになったのは、1895年に開催された「マンチェスター会議」意向のことである。(p.236) 「賃金」については、シーボーム・ラウントリーの報告の内容が、ほとんどそのまま1918年の「公式報告書」に収められた。シーボーム・ラウントリーによれば、「支払われるべき賃金の率を決定する際には、基礎的賃金と二次的報酬とを区別すべきである」。男性の基礎的賃金は、「彼に結婚を可能にさせ、見苦しくない家に住まわせ、普通の家族が肉体的能力を保つために必須のものを供給し、他方で、不測の事態やりくり栄ションのための適度のゆとりをもたせる程度の金額であるべきである」。彼の算定によれば、1918年の物価水準において、その金額は週当たり44シリングであった。二次的報酬とは、「特殊な職務の遂行のために必要な何らかの特別な才能や資格に対して支払われるべき報酬」であり、その正確な金額は、現状では労使間の交渉に任せてよい。もしかりに、適切な賃金を支払えない企業があれば、その雇用主は機械や原価計算の導入を進め、経営管理組織を合理化して、効率を向上させ、適切な賃金の支払いを可能にすべきである。「賃金」についてのシーボーム・ラウントリーによるこのような議論は、1928年と1938年のクエイカー雇用主会議で、彼の弟子に当たるウィリアム・ヲリスによって繰り返し強調された。(p.247) しかしF・H・フォックスや、ハルの機械製造者W・D・埔里ーストマンらの、すでに利益分配制を実施している雇用主たちが、その意義と効用を説いたことも効果があって、最終的な「公式報告書」では、「余剰利益が存在する場合」という条件月で、利益配分制の実施が奨励された。「余剰利益」とは、「労働に対して賃金が支払われ、経営管理者と取締役者たちがそのサーヴィスの、市場価格に応じた報酬を与えられ、資本[雇用主を意味する]が、リスクを勘案したうえでの、適切な資本供給を確保するのに必要な率の利子を受け取り、さらにまた、会社の安全と発展のために必要な資金の内部留保が行なわれた後で、残るかもしれない余剰」を意味する。たいていの場合、この「余剰利益」は雇用主によって独占されているが、本来これは社会の委託物(Trust)とみなされるべきであり、雇用主のみならず、経営者、労働者および社会一般に分配されるべきだ、というのであった。(p.248) しかし、クエイカー教徒的な労務管理論が両対戦期にもてはやされたのは、ジョン・チャイルドによれば、(大企業経済の興隆の結果)イギリスにおいて生成した経営管理車窓にとって、それが自分たちの自治権を主張するうえでの倫理的正当性を提供したからでもあった。すなわち、企業にとっての第一義的な目的は、利潤追求ではなく、出資者のみならず、経営管理者、労働者そして社会一般に対するサーヴィスであるべきだ、というクエイカー雇用主の主張が、経営管理者層の社会的威信の根拠を与えたのである。また、労働者に高賃金を保証し福祉を充実させるために成案効率の上昇を図らなければならないというクエイカー雇用主の主張は、前の述べたとおり、当時の先進的大企業の行動に合致sるうものであり、経営管理者たちの活躍を鼓舞するものとなった。このようにクエイカー雇用主たちの経営理念は、イギリス経営学の創始期において大きな影響力を持ったが、チャイルドによれば、それは後に、アーネスト・メイヨーに代表される「人間関係論」学派の経営学がイギリスで広く受け入れられるための、地ならしの役割を果たしたのであった。(p.256) 実際には、クエイカー派実業家たちの多くは、キリスト教的な社会倫理の実現という課題を重荷と感じ始め、これを回避しようとし始めた。このような動きを象徴するのが、1953年のロンドン年会において「真の社会秩序の八つの基礎」(1918年)が批判にされされた、という事実である。批判の要点は、第七項が営利追及を罪悪視し、第八項が共産主義的な主張のように見えるので、削除すべきだということであった。このような批判が雇用主の側から提出されたことは、容易に想像できる。(pp.256-257)
>top
◆Weber, Max. (1920). DIE PROTESTANTISCHE ETHIK UND DER >>GEIST<< DES KAPITALISMUS.(大塚久雄 訳 1989 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』, 岩波書店)
すなわち、一方の非現実的、禁欲的で信仰に熱心であるということと、他方の資本主義的営利生活に携わるということと、この両者は決して対立するものなどではなくて、むしろ逆に、相互に内面的な親和関係(Verwandtschaft)にあると考えるべきではないか、と。(p.29) キュルンベルガーの「アメリカ嫌い」はそこに見られる処世訓を要約して「牛からは脂をつくり、人からは貨幣をつくる」とは言っているが、われわれがこの「吝嗇の哲学」に接してその顕著な特徴だと感じるものは、信用のできる立派な人間という理想、とりわけ、自分の資本を増加させることを自己目的と考えるのが各人の義務だという思想だ。実際この教説の内容は単に書生の技術などではなくて、独自な「倫理」であり、これに違反することは愚鈍というだけでなく、一種の義務忘却だとされている。しかも、そのことが何よりもまして事柄の本質をなしている。そこでは「仕事の才覚」といったことが教えられているだけではない。そうしたものならほかにいくらでも見出されよう。−−そこにはひとつのエートス(Ethos)が表明されているのであって、このエートスこそがわれわれの関心を呼び起こすのだ。(pp.43-44)
|