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ピーアール
Public Relation

【定義】

 広告(Advertising)とは「名前を明かしたスポンサー(広告主)による、すべての有料形態の、アイデア、商品あるいはサービスの非面接的な提示および宣伝である」(アメイカ・マーケティング協会AMAによる)(横田編 [1976:147])

 広告(Advertising)とは、「メッセージのなかに明示された広告主が、選択された多くの人に対し、広告の意図にしたがって行動させるために行う商品・サービス、さらにはアイディアなどについての広告主負担費用の非人的形態をとる情報伝達活動である」 (日本商業学会用語定義委員会による)(横田編 [1976:149])

 パブリシティー(Publicity)とは「製品、サービスあるいは企業単位に対する需要を非面接的に刺激する活動であって、そのどれかに関する商業的に重要なニュースを公刊されている媒体に注入することによってなされたり、ラジオ、テレビまたは舞台に、そのどれかについて有利な提示を獲得することによってなされる。しかしスポンサーによってその費用は負担されない」(アメリカ・マーケティング協会・AMAによる)(横田編 [1976:148])

 パブリシティ(Publicity) : 企業や団体が、新聞、雑誌、テレビ、ラジオなど各種の媒体(客観的な報道機関)に対して、その意図している方針、商品の特質などの情報を自主的に提供することにより、対象媒体の積極的な関心と理解のもとに、広く一般に報道してもらう方法、およびその技術。(社団法人日本パブリックリレーションズ協会による定義) ▲TOP

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【文献】


1807 米 第三代大統領トマス・ジェファーソンが、選挙キャンペーンで、パブリックリレーションズの言葉を使ったという歴史家の指摘がある(井之上[2006:58])

1882 米 法律家ドーマン・イートンがエール大学のロースクールで「法律専門家の責務とパブリック・リレーションズ」と題して公演する(井之上[2006:58])

1890 日 (明治23年) 記者クラブ結成。帝国議会が開会したさいに秒長取材を要求する記者達が、「議会出入り記者団」(同盟記者クラブ)を結成する。(『日本新聞年鑑2004-2005』、井之上[2006:35])

1897 米 『米国鉄道年鑑』のなかで、パブリック・リレーションズの語が使われる(井之上[2006:58])

1900 米 ヘンリーフォードが「T型モデル」の試作車を発表した際、『デトロイトトリビューン』紙記者にデモンストレーションを行なう(井之上[2006:254])

1900 米 アメリカではじめてパブリシティ会社が設立される。ジョージ・ミカレス、ハーバート・スチール、トーマス・マービンにより、ボストンで設立(井之上[2006:254])

1902 米 二番目のパブリシティ会社が、ウィリアム・スミスによりワシントンDCに設立される(井之上[2006:254])

1903 日 社内報創刊。鐘紡が、工場の女子工員向けに、社内報を出版し好評だったことから、翌年から正式に社内報を創刊する。→1897年丸善、1899年三井呉服店(現三越)が、社内報を創刊する(井之上[2006:70])

1906 米 アイビー・リー(『ザ・ニューヨークワールド』紙記者)が、第三番目のパブリシティ会社「パーカー&リー社」をニューヨークに設立する。リーは、「行動規範宣言」(Declaration of Priciples)を発表する。(井之上[2006:60,254])

1907 米 AT&T社長にセオドール・ベールが就任し、ジェームス・エルスワースを雇って、パブリシティと広告のプログラムを実施する(井之上[2006:254-5])

1908 米 AT&T社長テオドール・ヴェイルが、同社の年次報告書のタイトルを「パブリック・リレーションズ」と命名する(井之上[2006:58])

1917 米 ウィルソン大統領が、コミッティ・オン・パブリック・インフォメーション(Committe on Public Information: CPI)の委員長に、ジョージ・クリールを任命する(クリール委員会)。(井之上[2006:255])

1920 米 ペンシルバニア・ピッツバーグKDKA局にて、初の実用局としてのラジオ放送開始。初包装は、大統領選の開票速報。 (井之上[2006:255])

1923 日 南満州鉄道株式会社に、社長室直轄で「弘報係」が設置される(井之上[2006:70])

1923 米 エドワード・ネイバーズが、PRについてのはじめての著作Crystallizating Public Opinion(『世論の覚醒化』)を出版。この本のなかで、はじめて、パブリック・リレーションズ・カウンセルという用語をしよう。ドイツ宣伝担当相のゲッベルズが、この本をナチスのプロパガンダに利用したといわれる(井之上[2006:256])

1924 米 N.W.エヤーズ広告会社が、PR部を創設する。(福西 [1958:17])

1925-6 米 広告会社ダッドレー・アンダースン・ヤーツイが、PR部を創設する。(福西 [1958:17])

1927 米 ハリー・ブルーノが、大西洋単独飛行を果たしたチャールズ・リンドバーグのプレス・リレーションズを手がける。(井之上[2006:255])

1932 日 外務省が、自国の宣伝の重要性を認識し、「情報委員会」を設置する→1941情報局設置。(井之上[2006:70])

1933 米 クレク・ウィトカーとレオン・バクスターが、はじめての選挙キャンペーン専門エージェンシーをサンフランシスコに開設する。(井之上[2006:256])

1935 米 ダグラス・マッカーサーが、アレクサンダー・サールスをパブリックリレーションズ責任者に任命し、将来起こりうる戦争への不安を取り除くことや報道記者への積極的な軍事上法廷巨の手助けをさせる。(井之上[2006:256])

1936 米 ジョージ・ギャロップが、科学的な世論測定評価法を考案し、大統領選に導入する。 (井之上[2006:257])

1942 米 ルーズベルト大統領が、真珠湾攻撃後に、 The Office of War Information(OWI)を設置し、エルマー・デービスを責任者に任命する(井之上[2006:257])

1942 日 戸沢鉄彦『宣伝概論』出版(井之上[2006:71])

1945 米 ハックル・F・ハーロウが、『パブリック・リレーションズ・ジャーナル』を刊行する(井之上[2006:])

1946 米 ロビー法制定。ロビー活動にさいし、活動の内容と収支を報告する義務が課される(井之上[2006:46])

1947 米 パブリックリレーションズ協会(PRSA)設立。最初のパブリックリレーションズ学部が、ボストン大学で開設される(井之上[2006:257])

1949 米 ウェブスター『新共同辞書』第六版で、「パブリック・リレーションズ」がはじめて定義される。「企業体、組合、政府や他の組織体が顧客や従業員、株主のような特定のパブリックと健全で生産性のある関係性を構築し、また一般社会に説明するもの」→第七版「相互理解と善意を発展させるための芸術または科学」(井之上[2006:60])

1949 日 日本電報通信社(電通)が、民間向け初のPR講習会として季広告講習会「PRについて」開催(井之上[2006:72])

1953 米 アメリカ情報庁(United States Information Agency : USIA)創設。(アイゼンハワー大統領時)(井之上[2006:117,257])

1980 日 日本PR業境界が、社団法人日本パブリックリレーションズ協会に統合される。(井之上[2006 :11])

1993 日 日本インベスター・リレーションズ協議会発足(井之上[2006:37])

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【文献】

◆Pimlott, J. A. R., (1951). "Public Relations and American Democracy," p.199 ff.. Princeton; Princeton University Press.

◆Finn,David 1960. PUBLIC RELATIONS AND MANAGEMENT. REINHOLD PUBLISHING CORPORATION.
= 1964 徳山二郎 波羅勉 訳 『企業PR入門』 ダイヤモンド社

 
1 PR活動のめざすもの
2 PR活動はいかに始めるべきか
3 PR活動専門家を常時雇用することについて
4 PR分析の実施
5 計画的PRプログラムの作成
6 パブリシティの役割
7 パブリシティ達成の諸手段
8 企業とコミュニケーション
9 企業奉仕活動
10 PRの効果の評価
11 PRの倫理
12 PRの将来

 

 パブリック・リレーションズとは、マネジメントの機能であり、一般社会がどのような受け取り方をしているかを評価し、特定個人か、あるいは、特定団体の政策や、その実施に当たって、一般社会の利害と照らし合わせ、それが、皆から理解され、受け入れられるように計画をすすめていくことをいう(Griswold, D., 1947. "Public Relations of Comes of Age," Boston University School of public Relations. p3)

 ウェブスターのニュー・ワールド辞書は、PRを定義して「会社が、その事業活動や政策等を世間に知らせ、会社に好都合な世論を作り出すよう努める、その機能をいう」としている(p.4)

 セミナーにおいて議論になったのは次の二つの方法によるハクつけである。@広告に利用するための生を発行することを業務としている会社に、対価を支払って、メーカーが章を入手する方法。これは全くの八百長入賞であると見られる。A出版社がその製品である辞書をPRとして文筆家に無料進呈した怜。この辞書は非常によい内容のものであったので、多くの受領者から自発的な賛辞が寄せられた。これらの賞賛の手紙には後に効果的な広告の材料として使われた。引用した人々の名前から、金で動くような人でないということが誰にも分かるという点が成功の一因であった。(p.193)

 PR活動において真実という言葉ははなはだ容易な言葉ではない。ビジネスマンが演説をしたり、雑誌に寄稿したりして名前が出ても、そのスピーチとか記事の内容も表現もほとんど、ある場合にはぜんぜん自分のものではないということが常識になってしまっている。また販売高、従業員数、製造原価、投資金額などを一般に公表するときも、しばしば水増しが行なわれる。結果として、イメージ作りにおけるもっと一般的な問題の場合と同様に、実際の姿にある程度色が付けられる。しかも、これはセールスマンシップの一部であり、比較的無害ならば多少事実とそう反していても、ビジネスにおける”無邪気な嘘”として許されるべきものと考えられる。ここで問題は、どこに限界をおくかということである。実務上の観点と、倫理的な医師針総論としての考え方の間にどのような妥協がなされるべきであろうか(p.199)。

 トップマネジメントの協力と積極的な参加があってはじめて、企業の行為の倫理的な限界を明確にすることができるのである。…PR活動における倫理の限界を検討するということは、実質的には会社の社会における役割を分析することになる。すなわち、会社が社会の構成員としてどのような価値を持つかということに関し、マネジメントが責任を持ってその価値の実現に至る方向を示すことにより、会社は、自社が如何なる利益を社会からうるかということよりも、いかに社会に貢献しうるかという点に基本方針を定めることができるようになる。(p.204)


◆福西勝郎 1958 『経営とPR』 日本工業新聞社

第一部

 経営にPRは最も大切なものである

第二部

 PRの科学的な分析

 近代経営の領域に於けるPRの任務

第三部

 PR機関の本質とその在り方

第四部

 PR的に見たトップ・マネジメント

第五部

 PRの種類的観察

PR(public Relation)という言葉は公的関係である。つまり人と人との関係を円滑にし、なめらかな状態をつくる、つまり評判をよくして、その信頼性と信用を獲得することである。(p.1)

 このような点からPRという実践はさきほどのべたように”信愛建設”であるということから経費的な問題は二の次にしてやはり個人も事業体(経営体)はつねに自分(己)から生じた利益の何パーセントでもそれをPRの性格として社会大衆のために、もどしてやるという性格があるのである。あめりかには、この点最も顕著な例が数多くある。このように企業也経営体が自己の経営のためになす行為を企業ならびに経営体の『社会還元運動』と呼んでいる。すなわち社会に還元することにより自らの企業経営が善意の大衆に反映し、かつ将来の運営に社会福祉の上においても極めて重要な要素を創出していることを、あるいはPRのリフレックス反応とも呼んでいるのである(p.12)

 『A歯磨は歯磨の中で最良品です。歯磨をお買いになるときはA歯磨をー。』これは宣伝である。PRではない。それは直接商品を売らんがためのものであるからだ。ではPRの解釈でこれを表現するならば、−それは『歯を磨くことは健康のもと。皆さん毎日朝晩歯を磨きましょう。−(A歯磨)』となると明らかにPRの性格を帯びてくる。あるいは歯の磨き方や、歯磨の出来るまで、またはブラシの使い方などを解説したパンフレット、リーフレットのごときは宣伝そのものよりPR効果のすぐれた技法としてこれからもPRの性格として扱われる。(p.16)

 

 


◆井之上喬 2006 『パブリックリレーションズ』 日本評論社 ISBN4-535-55461-7 

 

 序章 パブリック・リレーションズは21世紀最強のリアルタイム・ソフトウェア

 第1章 パブリック・リレーションズとは何か?

 第2章 パブリック・リレーションズの歴史的背景

 第3章 パブリック・リレーションズと組織体

 第4章 企業・組織における危機管理

 第5章 戦略的パブリック・リレーションズの構築と実践

 第6章 パブリック・リレーションズ活動の評価と測定

 第7章 パブリック・リレーションズ活動のケース・スタディ

 

 パブリック・リレーションズ(PR)とは、個人や組織体が最短距離で目標や目的を達成する、『倫理観』に支えられた『双方向性コミュニケーション』と『自己修正』をベースとしたリレーションズ関係である(p.3)

 


◆矢島尚 2006 『PR会社の時代』 東洋経済新報社 ISBN4-492-55561-7


序章 脚光を浴びるPR会社
第1章 戦略的PRの時代
第2章 メディア対応の受容性に気づき始めた経営者
第3章 アメリカで生まれたPRの歴史
第4章 独自の道を歩んだ日本のPR業界
第5章 多岐にわたるPR業務の内容
第6章 PR会社の上手な活用法

 一時的にメディアに大きく取りあげられた不祥事も、時がたてば忘れ去られるものなのだ。だからクライシスが起こっても、PR会社は「三週間我慢してください」とか、「三ヶ月我慢してください」とアドバイスすることも多い。あわてて記者会見を開いたり、対応策を大々的に発表することが、必ずしもベストの選択肢ではない。また、かつ対応が迅速かつ的確なら、メディアも長い期間、大きく扱われない。それだけ忘れられやすいということになる。(p.20)

 PRの手法では、いろいろな情報をメディアに「ニュース」として扱ってもらう。企業から直接消費者へ発信するのではなく、メディアという第三者の目を通しているため、客観性の高い情報として消費者に伝わっていくのである。あくまでも原則としてだが、客観性の高い情報は、信頼できる情報といえる。だからこそ、テレビのワイドショーやバラエティ番組で紹介されれば、単にCMで見るより甲bがいい欲をそそられる。雑誌でいえば、広告ページに載っているより、特集ページなどに商品が載っているほうが、消費者の購買意欲は上がる。(p.36)

…もちろん、キシリトール関連商品を販売するメーカーの狙いも虫歯予防にあったのだが、薬事法の関係で、広告として虫歯予防を訴えることはできない。そこでキシリトールという成分をPRしていこうということになった。マスコミ各社にキシリトールの情報を流し、盛んにメディアで取りあげられるよう働きかけた。実際、NHKの「おはよう日本」、TBSの「NEWS23」、テレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」などでも扱われ、新聞では婦人蘭や家庭面にも広く紹介された。どのメディアでも、特定メーカーのキシリトールガムの宣伝をするのではなく、キシリトールという新しい甘味料の効果について紹介するので、情報として取りあげられやすい。もちろん、その点もPR戦略の重要な要素である。そして、メディアが繰り返し扱うことによって、「キシリトールというのは虫歯予防になるんだ:「フィンランドでは、ずっと前から虫歯予防に使っているんだ」というメッセージが消費者に伝わり、認知されていく。(p.59-60)

 企業である限り、利益追求が第一目標であることは当然だ。だが、単に商品やサービスを提供して、売り上げを伸ばすことだけを考えているのでは、最終的には社会的信用を失い、売り上げを伸ばしていくこともできなくなる。また、CSRへの取り組みも本当の意味での企業責任を考えるのではなく、一時のブームややむをえないコストと捉えているようでは、消費者に信頼される企業とは成りえない。短期的に見れば、CSRへの取り組みにコストがかかることは事実である。しかし、企業が社会塗料く尾奈関係を築くことはは、企業本来の活動にとっても必要不可欠である。つまり、CSRへの取り組みは一種の投資なのである。企業が積極的にCSRや社会貢献活動に取り組むことは、非常に評価できることだ。だがその事業内容が十分にPRされておらず、大衆に認知されていないのは残念なことである。「善行は黙してなすべし」という日本人的美徳もあるのかもしれないが、こうした活動は十分なPRをしてこそ、最大効果を挙げるものである。(p.190)


◆茂木秀人 1977 「企業の社会的責任とPR(広報)の役割」 『農業協同組合』23(12) 全国農業協同組合中央会 p.13〜19.

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◆UP:070106,REV:0131,080313