うまなり[Home] / 組織




組織
(Organization)



◆Buffon, Georeges-Louis Leclerc, Comte de. (1799-1808) HISTOIRE NATURELLE, GÉNÉRALE ET PARTICULIÉE. rédigé par C.S.Sonnini 127 volumes. 8 vo. Paris, =1991 ベカエール直美 訳 「一般と個別の博物誌 ソンニーニ版より」 所収 荒又宏監修『ビュフォンの博物誌』 工作舎

◆なだいなだ (1992) 『民族という名の宗教 −人をまとめる原理・排除する原理』 岩波新書204

◆Piters, T. J., & Waterman, R. H. (1982). In Search of Excellence. Harper & Row, Publicher. (=大前研一 訳 1983 『エクセレント・カンパニー――超優良企業の条件』, 講談社)

◆Schein, Edgar, H. (1999). The Corporate Culture: Survival Guide--Sence and Nonsense about Culture Change Jossey-Bass Inc. (= 金井壽宏 監訳・尾川丈一・片山佳代子 訳 『企業文化――生き残りの指針』, 白桃書房)

◆なだいなだ (1992) 『民族という名の宗教 −人をまとめる原理・排除する原理』 岩波新書204


はじめに
第一章 人間は集団を武器とした
第二章 血の信仰
第三章 部族から帝国へ 血から言葉へ
第四章 イデオロギー
第五章 民族と国家
第六章 国の中の少数派
第七章 「同じ」意識
第八章 理性的批判主義
終わりに

 たいていの国の歴史は、さかのぼって行くと、どこかで神話と融合してしまう。そして支配者は、国造りをした神の子孫か、神に支配されたものの子孫ということになっている。(p.62)

 「だから、部族の壁を乗り越えられなかったのさ。他の部族に、信者が増えていかなかった。それは当たり前さ。自分の部族を依怙贔屓するような神様を他の部族の人間が拝めるものではないよ」「そりゃあ、拝めません」「氏神は、部族という小さい集団をまとめ、団結させるイデオロギーだった。そういってよろしいね」(p.86)

 「社会主義は、民族を越えて連帯を可能にする思想だと思って来たのです」(p.100)

 「それを一つにまとめようとする。もともとローマとしてまとまっていたんだ、と古いイメージを引っ張り出してくる。これが民族意識さ。部族を越えて大きくまとまろうとするために都合のいい意識だ。ぼくが民族はフィクションだといったのは、そういう意味なのさ」(p.109)

 「そうだよ。近代国家は、そもそもが産業革命の要請でできたものだから、当然資本の擁護者だ。競争の論理は戦争の論理だ。新生の国家は市場の拡大のために、積極的に戦争をかじめる。人は人にとって狼である時代が国民国家単位で復活したわけだ。戦争に勝てばほしいものをえられるといわれれば、国民はそのために自分が命を失うかもしれないことを忘れる…」(p.159)

 社会主義社会は、平等で、揺りかごから墓場まで、生活が保障されていて、誰でも、心配せずに平和に暮らせる、と描いてくれた夢が美しく見えた、それでジーンときたんだよ。今が余りにも悲惨だったから。いいかえれば今の悲惨が出発点だった。(p.195-6)

 

>top


◆Buffon, Georeges-Louis Leclerc. (1799-1808) HISTOIRE NATURELLE, GÉNÉRALE ET PARTICULIÉE. rédigé par C.S.Sonnini 127 volumes. 8 vo. Paris, =1991 ベカエール直美 訳 「一般と個別の博物誌 ソンニーニ版より」(抄録) 所収 荒又宏監修『ビュフォンの博物誌』 工作舎


第一節 博物学の研究方法および取り扱い方法について
「動物の博物誌」より
第二章 生殖一般について
第三章 栄養と成長について
第六章 生殖についての実験

 彼はそれらを、それから引き出しうる有用性に応じて研究史、それらが示す親しみの度合いに応じて考察し、この知識の秩序に従って頭のなかで整理するだろう。なぜなら、彼はその秩序に従って知識を獲得したのだから、その秩序に従って知識を保存することが彼にとっては重要だからである。
 あらゆるものののなかでもっとも自然なこの秩序こそ、われわれがしたがわねばならないと考えた秩序である。われわれの配類方法は、今みたものと同様に、不可解なものではない。そこで、今示したような、誰も否定できない一般的な区分から出発することにしよう。次に、われわれとの関係からわれわれの関心をいちばん引く事実を取り上げよう。そこから、われわれといちばん隔たったもの、われわれとは関係ないものへと徐々に進んでゆこう。このように単純で自然な物事の考察の方法は、実に複雑でこった方法より好ましいとわれわれは考える。なぜなら、これまでになされた方法のなかでも、これからなすことのできるすべての方法のなかでも、われわれの方法ほど恣意的な方法はひとつもないからである。また、われわれとの関係で事物を考察することは、ほかの観点から考察するよりも容易であり、快適でもあり、有用でもあるからである。(p.304)

>top


◆Durkheim, Emile (1893). ,De la division du travil social = 1989 井伊玄太郎 訳 『社会分業論 上下』 講談社 学術文庫 ISBN4-06-158873-7, ISBN4-06-158874-5

 利益の共同体が、血縁の代わりとなったのである。「組合員たちはしばしば互いに兄弟という名を与えあったほどお互いを兄弟とみなしあった。」最も普通の表現は実に『ソダレス』(sodales)という表現であった。だがこの言葉そのものは親密な同胞愛を意味する精神的親族関係を表している。団体の保護者である男女は、しばしば父と母という名称をもっていた。「組合員たちがその団体に対してつくした忠誠を示すものは、彼らが団体に与えた遺贈と贈与とである。墓碑もまたこの祥子をとどめている」そこには次のように墓碑銘が記されている。「身内に対して忠誠なりし」といわれたように「団体に対して忠誠なりし。」「彼はその団体に対して忠誠であった。」この家族的生活は、ポアッシュ氏がこれをすべてのローマ的共同体の主要目的としているほどに発展したものであった。彼はのべている。「労働者の同業組合においてさえ、団結の主要目的は、ともに生活する楽しみを味わうこと、自分の家の外で疲労と退屈とをいやす気晴らしを見出すこと、家族より広く都市よりも狭い親密関係をつくりあうこと、そのようにして生活をらくにし楽しくしあうことであった」(上p.39-40)

>top


◆Schein, Edgar, H. (1999). The Corporate Culture: Survival Guide--Sence and Nonsense about Culture Change.CA: Jossey-Bass Inc. (= 金井壽宏 監訳・尾川丈一・片山佳代子 訳 『企業文化――生き残りの指針
第1部 企業文化の基礎
 第1章 企業文化はなぜ重要なのか
 第2章 企業文化とはいったい何か
 第3章 企業文化は何を基に築かれるか
 第4章 企業文化はどうすればアセスメントできるか
第2部 企業文化の実際
 第5章 スタートアップ企業における文化の創造、進化、変化
 第6章 変容―文化を学習棄却し、再学習する―
 第7章 成熟企業における企業文化の動態(ダイナミクス)
 第8章 文化が出会う時――買収、合併、ジョイント・ベンチャー、その他の融合した組織
 第9章 文化を真剣に考えるリーダーにとっての文化的現実

 文化はグループの資産である。グループが共通の経験を十分な量だけ持てば、必ず文化が形成され始める。小さなチーム、家族、作業グループ内にも文化が見られる。部門、職務グループ、およびその他の組織単位のようなレベルにも、共通の職業を核とし共通の経験をもてば文化は生じる。階層のあらゆるレベルにおいて文化は見られる。十分な歴史を共有してきたのであれば、組織全体のレベルにも文化は存在する。その産業に携わる人々全体が共通の職業的背景を持っているからである。最後に、地域および国というレベルにも文化は存在する。共通の言語、民族的背景、宗教、共有の経験があるからだ。(p.14)

 文化、その本質を操っているのは、学習され共有された暗黙の仮定である。人々はその仮定をもとにして毎日の行動をとる。その結果、「ここでのやり方(the way we do things around here)」と一般に思われていることができあがってくる。(p.26)

 文化とは、グループが対外的課題をこなし、内部の人間関係に対処する中で獲得してきた集団内で共有された暗黙の仮定である。(改行)文化は、目に見える行動、儀式、文物、風土、および共有の標榜されている価値観に現れるが、その本質は、共有された暗黙の仮定である。責任あるリーダーであれば、そのような仮定に気づきそれらを管理できなければならない。さもなくば、それらの仮定があなたを管理するようになるだろう。(p.190)

>top


◆Piters, T. J., & Waterman, R. H. (1982). In Search of Excellence. Harper & Row, Publicher. (=大前研一 訳 1983 『エクセレント・カンパニー――超優良企業の条件』, 講談社)


第1部 超優良企業の条件
 1 成功しているアメリカ企業
第2部 新しい理論の構築を求めて
 2 「合理主義」的な考え方
 3 人々は動機付けを望んでいる
第3部 基本にもどる
 4 曖昧さと矛盾を扱う
 5 行動の重視
 6 顧客に密着する
 7 自主性と企業家精神
 8 ”ひと”を通じての生産性向上
 9 価値観に基づく実践
 10 機軸から離れない
 11 単純な組織、小さな本社
 12 厳しさと緩やかさの両面を同時に持つ

 私たちが主張したのは、新機軸を打ち出せるような、つまり革新的な企業とは、新製品を出して大きく売り上げを伸ばしていく能力にこと優れているばかりでなく、周囲のあらゆる変化に器用に対応していく能力に特に秀でた企業なのである、ということだった。アンドリュー・ベティグルーの言う「慣性的組織」と違って、環境が変わればみずからも変わるという企業である。(p.44)

 驚く人も多いと思うが、人間尊重には厳しい側面もあるのだ。超優良企業は、評価と実績を重視する。だが、この厳しさは、机をたたいてどなる管理職や複雑な管理制度から生まれるのではなく、経営者も従業員も互いに多くの相手に期待すること、同僚どうしで遠慮のない検討、批判が加えられること、から生まれている。超優良企業での厳しさは、業績のよくない、組織・命令系統重視型の企業のきびしさをたぶんしのぐはずだ。なぜなら、自分が必要とされる、という気持ちほど人間の意欲を強く刺激するものはないからで、まさにこれこそが高い期待を生み出すものとなるのである。さらに、高い期待を抱いているのが自分の同僚であることを知っているとき、人はなおいっそういい仕事をし、いい成績を上げようとする。(p.404)

 超優良企業で使われている言葉の中でもとくに印象的なのは、それら企業が個々の従業員を呼ぶときに使う呼称である。故障によって従業員の”位置づけ”を高める配慮がそこに見られる。たわいない、と言えばまさにたわいないことだに違いないが、アソシエイト(ウォル・マート)、クルー(マクドナルド)。キャスト(ディズニー)などの呼称を使うことによって、これら超優良企業は個々の構成員がいかに重要化という企業姿勢を表現しているのである。(改行)超優良企業の多くは、企業をひとつの(拡大)家族であると見ている。(pp.438-439)

 その反面、私たちは超優良企業の間に、二、三の共通する特性があることを知った。会社によって価値観が非常に異なっているにもかかわらず、それが全体を統一しているわけである。第一に、私たちの最初の調査でわかるように、それらの価値観は、まずたいていの場合、量的な表現ではなく、質的な面を重視していることである。
 超優良企業で財政的な目標がうたわれているとき、それはきまって野心的なものであるが、けっして具体的な数字をあげたものとはならない。しかも、財政的な目標と戦術的な目標とは、けっして単独には打ち出されない。それらはつねに、会社がうまくやろうとしている他の事柄とかかわらせて論じられているのである。利益はなにかをうまくやってのけた場合の副産物であって、企業の目的そのものではない、という考えがおおむね共通しているのである。
 効果的な価値体系の第二の特性は、組織の最底辺にいる人々を鼓舞しようとする努力である。(pp.476-477)

 彼らは顧客を信じた。社員の自主性を認め、活動の余地を与えることを信じた。自由な対話の機会と品質を信じた。だが、彼らのすべてが厳格な規律励行者だった。彼らは大きな自由(ロープ)を認めたが、部下の下からそれで首をくくるものが出ても、その成り行きを受け入れた。きび氏後穏やかさと言うのは、このロープに関することなのである。それでも、つまるところ、それは文化の問題となる。(p.531)



060603,060905,081124作成


うまなり[Home]/ 組織