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> うまなり[Home] メセナ・フィランソロピー
mécénat / Philanthropy
まず言語学的な観点から見ると、フィランソロピーはギリシャ語で「愛すること(loving)」を表すphiloと「人間または人類(human being)」を表すanthropoとが合成されてできた言葉であるから、語源的には「人間愛または人類愛(love for mankind)」を意味した。実際、古代ギリシャやローマでは裕福な人々が集会場のような公共施設を手依拠するのは当然のこととされており、それらが当時のコミュニティにおける生活の質を向上させていたと伝えられている。また、中世ヨーロッパでは宗教上の寄付によって病院や孤児院、あるいは貧困者などに対する保護施設の設立が促進された。…もっとも、フィランソロピーの語源がギリシャ語にあるといっても、この言葉が辞書に登場するようになったのは17世紀と言われており、さらにアメリカで一般的に使用されるようになったのは19世紀なかばに経済が発展し大富豪が出現してからのことである。(丹下[2001:77]) 芸術文化支援を意味するフランス語。古代ローマ皇帝アウグストゥスに仕えたマエケナス(Maecenas)が詩人や芸術家を手厚く擁護したことから、後世、その名をとって「芸術文化を擁護、支援すること」をメセナというようになった。日本では、企業メセナ協議会の設立に際し、企業市民としての自覚に基づき社会貢献の一環として企業が行う芸術文化支援を指す言葉として、テレビ番組の協賛の意で使用されてきた「スポンサー」ではなく「メセナ」を採用したことから一般に知られるようになった(社団法人 企業メセナ協議会編 [2003:245]) > top
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> top ☆法人税法(日本)
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◆出口正之 (1993) 『フィランソロピー −企業と人の社会貢献』 丸善ライブラリー
「フィランソロピー」とは、弱者の救済、学術の振興、文化・芸術の支援などの公益性の高い分野での寄付活動やボランティア活動を総称したコトバである。(p.7) アメリカにはファンド・レイザーという職種の人たちがいる。資金集め担当者といったら良いだろうか。彼らは、非営利団体に属して、個人、財団、企業へ資金援助を求める業務を担当している。(p.72) 「メセナ」という言葉は、初代ローマ皇帝アウグストゥスの腹心の部下であった、マエケナスという人の名前に由来する。…二人は積極的に文芸を保護していったことでも知られる。(p.94) …日本のメセナに関する議論は真っ向から異なる視点で出発した。日本ではもっぱら、企業の文化支援が、いわば、規範的に議論され、「直接的」とか「短期的」とかいう修飾語はつくものの、基本的には「見返りのない」文化支援こそ、理想のものとして求められた(p.102) 企業にはより良き商品を社会に提供するということ以外には、特別の社会貢献を義務として行なわなければならない理由などは全くない。企業フィランソロピーを考える上で、この点は最も基本的な出発点である。本来社会貢献などする必要のない企業が、何らかの「志」をもって社会貢献をするから、企業フィランソロピーには大きな意味が出てくるのである。例外なく企業が寄付を義務として行なうようになれば、それはもはやフィランソロピーとは呼ばずに、一種の「税金」と呼ぶべきだろう。(p.132)
> top ◆芹沢 俊介 編 1991 『消費資本主義論 −変容するシステムと欲望の行方』 新曜社 ISBN4-7885-0389-1 自己充足のためのモノおよびサービスの購入という消費とはべつの経済行為を新たな消費の形式として用意しなくてはならない。<貴族>という消費モデルはその消費パラダイム転換を暗示する物語として利用価値がある。特にそれは<貴族>と<文化支援>を結びつけると明快なものとなる。その<消費力>は自己充足のそれをはるかに上回っており、余剰はもはや他人のために寄付的消費として使われる。「メセナ」が文化支援に対する直接的な利益リターンを求めまいとする精いっぱいのモラルも同様な発想である。われわれは貴族だから他者の幸福・充足のために自らの財を一部供与するのはやぶさかではないー<貴族>をめぐって作られつつある新たな神話はこのようなものに他ならない(p.133)。
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◆丹下 博文 2001 『企業経営の社会性研究 社会貢献・地球環境・高齢化への対応』 中央経済社 ISBN4-502-35943-2
ここで参考のために、この判決[A.P. Smith社事件]の真理で証言した4人(肩書きは証言当時のもの)の見解を以下に列記するが、これらは傾聴に値するものがある。@ハーバード・オブライエン同社社長(Hubert F. O'brien, the president of the company)−私は寄付というのは健全な投資(sound investment)と考える。住民は企業にフィランソロピー機関や慈善団体への支援を期待しており、また、相することによって企業はコミュニティの信用(good will)を得て事業活動に有利な環境を作ることができる。加えて、大学などの教育機関に寄付することは、適切な訓練を受けた人材の流動性を確保するという点で自己利益(self-interst)を促進することになる。Aフランク・アブラム、スタンダード・オイル会長(Frank W. Abrams. Chairman of the bord of the Standard Oil Company of New Jersey)ー自由企業システム(free enterprise system)の本質的な基盤を支えるために、企業が公共的な責任(pubglic responsibility)を負うのは当然である。功s地あご売り的で正当な公共の期待を裏切ることは、良い事業活動(good business)とは言えない。さらに、コミュニティにおける市民として通常負わなければならない義務を果たすことなく、経済社会の一員として多くの便益をうることもよい事業活動とは言い難い。Bアービング・オルド、U.S.スチール前会長(Irving S. Olds. former chairman of the board of the United States Steel Corporation) ー資本主義と自由企業が存続するためには、私立の独立した大学の存在が非常に重要である。したがって、もしアメリカの企業がそうした大学の維持に支援を与えなければ、結局は株主や従業員や顧客の長期的な利益が十分に守られないことになる。Cハロルド.ドッド、プリンストン大学学長(Harold W. Dodds, President of Princeton University)−私立の高等教育機関が政府の機関に取って代わられてしまったら、われわれの社会は大きく変わったものとなり、民間企業は急速に衰退していくであろう。民主主義社会(democratic society)は、それ自身のなかに政府や政治への志向性のないあらゆる知識や意見の源泉となる非政府的な強い核となるもの(center)を育てていかなければ長くは続かない。それだけに、こうした核となるものが政府に吸収されていくとしたら、われわれが知っている自由(freedom)はなくなってしまうだろう。(p.88) アメリカでは既に1950年代において企業をコミュニティの市民と位置づける発想が見られるが、「企業市民(corporate citizenship)」とは一口に言って「個人と同じように企業も社会に対して責任を負っている(a company, like anindividual, has duties to soceity)」という考え方を表している[The Directory of Corporate Philanthropy, Public Management Institute,1991]。したがって、企業市民という概念は、「社会的責任(social responsibility)」と表裏一体を為しており、この場合における社会とはコミュニティを指していると考えておいてよいであろう。 アメリカ企業に関する社会貢献活動の状況を見ると、企業フィランソロピーは長期的な投資として戦略的に捉えられていることがわかる。この土台となっているのが「啓発された自己利益(enligntened self-interest)」という概念であり、アメリカでは次のように説明されている。つまり、「健全な地域社会は企業活動を効率的に行なうための必須条件である。それゆえ、フィランソロピーはきぎょうとしての利益に直接つながらないかもしれないが、長期的かつ間接的には企業にとって有益なことである」と。これをもっとストレートに言えば、「社会的に責任をもつことが、結局はその企業の利益になる」ということになる。したがって、地域社会との関わり合いは企業にとって経済活動の延長であり、その企業のニーズと地域社会のために努力している非営利組織のニーズとが合致するところに、フィランソロピーのような非営利活動に対する企業の支援が正当化される合理的な根拠があると考えらえる。(p.105)
> top ◆社団法人 企業メセナ協議会 編 2003 『メセナマネジメント』 ダイヤモンド社 ISBN4-478-30066-6
序章 1「社会の文化化」、「文化の社会化」と企業メセナ
80年代後半、国際化や情報化、少子高齢化など企業を取り巻く社会環境が大きく変化した。また経済至上主義への反省から、企業も社会を構成する一市民として社会の課題に取り組み、社会全体の利益に貢献すべきであるという考え方が急速に広まった。企業の多くが、それまでは企業の内側に向けて配分してきた”利益の一部”を社会に向けて還元するようになったのである。1990年には企業メセナ協議会も誕生し、芸術文化支援−いわゆるメセナを含む企業の社会貢献活動に対する一般の人々の理解は徐々に浸透、経営トップも社会貢献活動を経営上配慮すべき課題とみなすのが一般的となった。(p.13) …そもそも社会貢献を「余剰利益の還元」と位置づけていたために、全体利益が減少すれば活動規模を縮小、またはやむなく中止せざるを得ないという状況が生じるようになったのである。ところが、「メセナ活動実態調査」の結果を総合的に見ると、メセナが衰退したというデータは出てこない。活動費総額は90年代前半よりは減額しているものの、先述した「メセナ定着のバロメーター」についてはむしろ着実に導入がはかられている。(p.13-4) 企業美術館、劇場、ホールについては、一定の集中をともなうものもあるし、「文化産業であってもメセナではない」という見方も存在するだろう。たしかに、事業収入によって独立採算を目標に創意工夫している文化施設も多い。施設設立後の現象だけを見れば、文化産業だという見方も成り立つことも首肯できる。「金儲けであってメセナではない」という主張である。企業メセナ施設側が「メセナ」と呼ばれることを嫌うことすらある。その結果、企業メセナ施設の活動が、メセナ活動実態調査に正確に反映されているかどうかは、一概に言いにくい。企業メセナ施設は、いったん、つくられると、経済活動的な要素が出てくることも否定しきれず、メセナ調査には除外されていることも推察される。しかし、経済活動は資源の最適な配分を求めることによって達成されるのであって、地下の高いの土地を経済合理的に使用しようと思えば、文化施設をつくる以外の解は存在していたはずである。そのうえあえて文化施設をつくる理由は、「文化・芸術の振興」という大義が入ってきているからに他ならない。わかりやすくいえば、儲けるためならば、ほかのものをつくっていたということになるだろう。(p.148-9) マスターフーズが継続的に行なっている盲導犬育成キャンペーンについても触れておく。このケースはPR会社が企業の社旗貢献活動をサポートしている好例で、CSR(企業の社会的責任)の重要性が叫ばれる前から企業の社会的責任を実践した注目すべき事例である。盲導犬育成キャンペーンが始められたのは、1991年のことで、当時あh盲導犬の存在自体があまり知られておらず、盲導犬の数も少なかった。盲導犬という言葉を知っている人の中でも、ペットとしてみる人も多く、社会全体で見れば、盲導犬を受け入れる基盤が出来上がってはいなかった。…(p.53) CSRへの取り組みをPR会社がサポートする場合、企業が自発的に行なっている社会貢献活動をPRすると言う側面のほかに、新たな提案をするという側面が考えられる。企業のブランド価値、社会的評価などを高めるために、CSRの具体的提案を持ちかけるということだ。というのは、「今、社会が何を求めているか」「何がニュースになるか」をPR会社はよく知っているからだ。(p.191)
> top ◆本間正明 編 (1993) 『フィランソロピーの社会経済学』, 東洋経済新報社
たとえばある地域の人々が、その地域に伝わる伝統芸能を保存したいと思っていても、政府による直接的支援がなかったとしよう。それでもその伝統芸能を保存したいと熱意を持つ人々がいるならば、彼らは資金を出し合って、伝統芸能を復活させるかもしれない。そのとき伝統芸能は「市民」による「価値財」としての性格を持つことになる。「準公共財」はこのような形で「市場」や政府の枠組みとは独立に人々の熱意で供給されることが少なくない。伝統芸能を保存する人々の動機は自己利益や利潤を追求する市民セクターのそれではない。保存のために資金を提供したり、あるいは保存のために東奔西走する人々は、何らかの「意義」を感じてほぞぬんどうに参加するのであり、それは政府活動の下請けとは異なり公共セクターの一部を担うものでもない。ここでの労働サービスのインセンティヴは賃金ではなく、意義にもとづく「自発的な労働」(ボランティア)である。また、ここでの資金提供減は「強制的」に徴収された「税金」ではなく、「自発的に(ボランタリー)」に供給された「寄付」である。このようなボランティアや寄付はまぎれもなく「フィランソロピー」とよばれ、「非営利・非政府セクター」で数多く供出されている。(pp.13-14)
> top ◆電通総研 編 (1991) 『企業の社会的貢献――個人・企業・社会の共生』 日本経済新聞社
アメリカの社会にとって、フィランソロピーを行なうのは「企業は公共サービス、ボランタリーな(非営利セクターの)活動のリーダであるべきだ」という考え方が強いからである。「公共」とついた途端、政府の仕事、となりがちなのが日本的発想だが、アメリカでは広く市民・社会のための活動を指し、それは第三セクターと呼ばれる非営利団体が担う。公共サービスを支えるのは決して企業だけではないが、企業の持つ経営資源は大いに生かされるはずである、そうすべきだ、というのがこの考えである。(p. 26) またメセナのための基盤、例えば芸術文化団体の法人格やそれらへの寄付に対する税制面での優遇措置、あるいは人材(文化施設経営要因やメセナの専門家)育成等といった社会システムの整備も遅れている。特に税制面での問題は、後で詳しく述べるように、文化に限らず我が国の企業や市民による社会貢献活動への参加の阻害要因になっており、先に挙げた広告と文化のわが国独特のかかわりにも大きく影響している。つまりわが国における企業文化出費の多くは、広告費・広報費という形で計上されており、広告である以上「冠」なりなんなり、企業PRに結びつけなければんならないわけである。(p.56) フィランソロピーとは、基本的には個人(市民)が自ら公益活動を支えて行く社会のあり方、理念であるが、禁煙企業が市民社会のなかで大きな影響力をもつようになるにつれ、企業が市民の一員としてフィランソロピー活動に参加することが求められるようになった。つまり企業からすれば、本来的な活動(=利益追求)と直接関係のない領域であっても、自発的に公益増進のために経営資源を活用する責任が要請されるようになったということである。一般には、社会福祉事業や文化・学術分野への企業寄付などがこれに該当する。(p.167) 企業は市場を通じて消費者や従業員、株主などとの間に取引を行うが、それ以外にも市場を介することなく様々な人対置に影響を与える。このような効果を、すでにの場用に経済学では「外部性」と呼び、特に産業公害の用に悪影響を及ぼす場合のことを「外部不経済」と呼ぶ。またこうした外部不経済によって生じた損害を現状にカ復帰っさせるためのコストを「社会的コスト」というが、外部不経済の原因が企業にある場合でも、企業が社会的コストを全額負担するとはかぎらない。多くの場合、企業の負担する私的コストは社会的コストを下回るのである。
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◆UP:060525/REV:060818,060920,061207,070201,0222,0228
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