うまなり[Home] / マイクロクレジット・グラミン(村の)銀行




マイクロクレジット・グラミン(村の)銀行




1971年 1月12日。バングラディシュがパキスタンから独立。
1974年 インド・SEWA銀行が都市部低所得者女性(個人)向けにマイクロクレジットをはじめる。(坪井[2006:35])
1974年 バングラディシュ飢饉。
1976年 ムハマド・ユヌス教授(チッタゴン大学経済学部長)によって「グラミン(農村)銀行プロジェクト」発足。(渡辺[1997:11])
1979年 中央銀行(バングラディシュ銀行)が出資を表明。中部タンガイル県で新規プロジェクトがスタートする(渡辺[1997:12])
1983年 60%政府出資のもとに、政令により特殊銀行としてグラミン銀行設立。(渡辺[1997:12]、坪井[2006:35,44])
1989年 低価格住宅プログラムによってアガカーン国際建築賞を受賞する。(渡辺[1997:27]) )
1992年 ボリビヴィア・ソリダリオ銀行が都市部零細企業主(グループ)向けにマイクロクレジットを開始する。(坪井[2006:35])
1997年 NGO主催によるマイクロクレジット・サミット開催(ワシントンDC)。2900人参加。
1997年 グラミン銀行がグラミン・フォン社を設立し、携帯電話サービスを始める。(坪井[2006:76])



会員数10人(1983)→5万8,000(1983。45%が女性)→100万人(1991)→200万人(1994)→396万人(2004。95%が女性)

渡辺龍也 (1997) 『「南」からの国際協力 バングラディシュ グラミン銀行の挑戦』 岩波書店 岩波ブックレット No424 ISBN4-00-003364-6

 グラミン銀行はメンバーの出欠に多大な注意を払っている。というのも、欠席し始めると次の週は二倍、その次の週は三倍を返済せねばならず。それができずに脱落していくことが多いからである。それはグループやセンター全体の規律にも影響してくる。つまり、誰かが解さなくてもいいならば、自分も返さなくていいだろうというドミノ式の連鎖反応が起きかねないからである。欠席したメンバーに対しては、銀行が週末の木・金曜日に家を訪ねて事情を聞き、問題があれば他のメンバーとともに解決のための助言をしたり、協力をしたりする。(p.16)

 メンバーになると共同貯蓄が義務づけられる。まず、メンバーは毎週、センター集会のたびに1タカ(95年からは2タカ)ずつを「グループ基金」に積み立てる。これは「グループ税1」と呼ばれている。また、貸付を受けたときには、貸付額の5%をグループ基金に払い込まねばならない。これは「グループ税2」と呼ばれている。この基金はなんにでも使うことができる。じっさいには、冠婚葬祭や薬代などの出資をまかなったり、家で道具の修理をしたり、毎週の返済資金が足りないときに当てたり、といったことに使われている。基金を利用するにはグループ全員の同意が必要で、金利や返済期間などもみんなで話し合って決める(金利はふつうゼロである。なお、メンバーからの強い求めに応じて、96年からは10年たったグループの基金は個々のメンバーに払い戻されるようになった)。(p.33)

 メンバー数は205万人を越え、土地なし貧困層全体の20%がメンバーになったことになる。グラミン銀行が貸し出した額は合わせて900億タカにのぼるが、返済率は98%という驚異的な数字を維持している。(p.35)

 グラミン銀行の最高意思決定機関は、13人からなる理事会である。うち3人は政府が任命し、1人は最高経営者のユヌス教授だが、残る9人はメンバーの代表である。つまり、銀行の基本方針を決める理事の3分の2以上はをメンバー自身が占めているのだ。(p.37)

 83年の設立時は、政府が株式の60%を保有していた。その後、たびたび発行株式を増やしたが、政府の持ち株数は変えずに、新規発行分はすべてメンバーに割り当てた。その結果、政府のシェアは全体の5%にまで低下し、残る95%はメンバーの所有となっている。(p.38)

 別の調査では、避妊を実践している割合が、グラミン銀行のメンバーは全国平均の二倍にのぼっていることが分かった。一般に貧しい家庭は、働き手の確保、老後の保障、リスクの分散、幼少時の死亡率の高さなど、さまざまな理由から子供を多く持とうとするが、グラミン銀行のメンバーは、安定した収入、貯蓄、衛生状態の改善、それに女性の地位向上によって、子供の数を減らすことが可能になったのである。(p.41)

 初めに紹介したアーカンソー州の「グッド・フェイス基金」の担当者は、活動を広げるうえでの最大の障害は生活保護だと語っている。生活保護を受けている人たちはそこに安住してしまい、自力で何とかしようという気持ちに欠けてしまうというのである。が、彼らは必ずしも初めから「怠け者」や「無能力者」だったわけではない。問題は、一度生活保護の対象になるとそこから抜け出せなくなり「怠け者」になってしまう、そういう環境を社会が作っていることにある。(p.63)


★坪井ひろみ (2006) 『グラミン銀行を知っていますか 貧困女性の開発と自立支援』 東洋経済新報社 ISBN4-492-44325-8

 マイクロクレジットとは、貧しい人々を対象に、フォーマルな小額融資を行い、彼らの生活が成り立つように促すしくみである。その目的は、貧困を緩和することである。(p.25)

 グループには一世帯から一人だけしかメンバーになれず、ほとんどが隣人同士である。(p56)

 しかし、そんなに簡単に名前が書けるようにはならない。…グラミン銀行は、こうしたしくみを用いることで、何かをしようとする医師のある人を選別している。そのため、もともとインセンティブの比較的高い人が、メンバーになる可能性が高いといえるだろう。(p.57)

 五人グループのうち、融資を受けただれかが、返済できなくなると、同じグループのほかのメンバーが融資を受けられなくなるため、連帯して返済について責任をもたなければならない。このしくみが担保のかわりとなっている。(p.57)

 メンバーは、名前を呼ばれてうれしいという。「私にも名前はあるのです」。彼女たちは日常、妻、母、兄弟の妻という親族間の続柄で呼ばれている。また、法的に身分を証明する必要があるときなど、父親の名前が要求され、女性の存在が薄い。(p.95)


◆060903作成


うまなり[Home] / マイクロクレジット・グラミン(村の)銀行