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(企業の)寄付・献金
Corporate contribution, Corporate donations



【年表】



1846 米 ジェームズ・ホール判事が、シンシナティ青年商業図書館協会の会員に向かって企業の社会的寄付について述べる。成功したビジネス・リーダーは、「芸術の支援者、教育の振興者、文学と科学の友人、あらゆる公共的な改善施策の推進機関でなければならない」(Heald [1970-1975:22])。

1864 英 タウントン事件(Taunton v. Royal Insurance Co.,2 H. & M. 135. 71 Eng Rep.413 Ch.1964)。保険契約書において爆発事故への補償を適用除外としていたにもかかわらず、大規模な爆発事故で家屋を破壊されたリヴァプールの保険契約者81人に補償に応じた取締役会の決定を裁判所が支持する。直接的な現金支出をともなうものであっても、支払い請求に応じることが長期的に会社の利益増進に寄与するものと取締役会が判断したのであれば、裁判所がこれを干渉する意思はないとの判決をくだす。(中村[1991:63])。

1875 英 アッシュブリー事件(Ashbury Carriage Co. v. Riche(1875 L. R. 7 H. L 653)。英国会社の能力外理論が確立する。アッシュブリー社の取締役がベルギーの鉄道建設の融資契約を締結したが、イギリス最高裁(House of Lords)がこれを企業の能力外行為(ultravires)と判断する。たとえ株主全員の同意があってもその瑕疵は治癒しうるものではなく、株主ならびに債権者保護が必要だと判断される。ただし、国王の特許状による会社については能力外理論は存在せず、法人の目的外行為が有効である。もっとも、目的外行為は法人格許可状没収の原因になると理解される。(喜多川 [1966:64], 小山 [1972:5:61])

1879 英 ハンプトン事件。取締役が工場経営政策として従業員に一週間分のボーナス支給を提案する。これに対して裁判所は、会社内部の問題であり取締役の決定には介入しないとの判断を示す。(Hampton v. Price's Patent Candle Co., 1878 45 LJ CH 437)(中村[1999:63])。

1881 英 エイヴィス事件(George H. Davis v. Old Colongy Rail Road Co., 131 Mass.258)。1872年世界平和ジュビリ祭(ボストン)と国際音楽祭への費用支払いをOld Colony鉄道会社がこの契約により6000ドルの補償を引き受けた。鉄道会社がその沿線で行われる音楽祭の費用支払いに付いて生じる不足額を引き受ける契約は、たとえ企業利益が予想されうるとしても、企業による慈善的寄付(charitable donation)が、定款の目的外の行為(ultra vires)と判断される。「(判旨)ところでOld Colony鉄道会社は、鉄道会社である。世界平和ジュビリ祭や国際音楽祭の開催は、鉄道会社の設立の目的とはまったくかけ離れた事業である。このような事業の費用支払いあるいは支払いの保障は、必要でないばかりか、鉄道会社のビジネスのためにふさわしい手段でもないところから、チャーターにより認許されていない、すなわち黙示的に禁止されている目的に、会社資金を使用することになる。鉄道を利用する乗客が増加するであろうことから予想されえた会社利益という理由によっても、この契約が会社に義務を負わせることはできない。」(中村 [1975:131] [1977,1980:32], 森田 [1974:628] [1978:33-4], 中原[1975:408], 中村 [1999:40])。

1883 愛 ハットン事件(Hutton v. West Cork Railway Co., 23 Ch. D. 654. 673)。従業員の慈善のためになす会社の支出が、会社の能力外行為(ultra vires)であると判断される。清算中のウェスト・コーク鉄道会社が事業を売却することとなり、売却完了後の株式総会において、取締役への過去の労苦に対する報酬と役員の失業補償としてその売却代金から配分することが大多数の株主によって承認される。これに対し、少数の株主が支払いの差し止め訴訟を提訴した。判決は、取締役の財の分配権限を認めながらも、贈与は会社利益の増大のためになされなければならず、取締役会のこの決定が、企業清算中には適用されないとの判断をくだす。ボーエン判事は「慈善をなす者の利益になるような一種の慈善行為はある。この程度において、またこの概観において、取締役会は慈善行為をなすことが出来る。ただし、利益以外の目的で、取締役が慈善的行為をなすことはできない」と述べる。→慈善のための会社の支出(charity)は、会社の能力外の行為(ultra vires)であり、株主全員の同意によらない限りなし得ないものと判断される。ただし、教育・福祉のための支出が、明瞭に会社の利益(direct and tangible benefit)になると関係付けられると肯定される原則(doctrine of a clear and distinct benefit to the corporation)を確認する。(Bowen [1953=1960:171], 富山 [1969:2:717] [1975:104], 中原 [1975:408], 中村 [1999:65], 森田 [1974:636] [1978:42])

1892 Richelieu hotelを含む28のホテルと16のレストランは、シカゴ市及びそのビジネスに大きな利益が生じることが期待されたため、シカゴの国際軍事演習に寄付の申し込みに署名した。同ホテルも社長名も、1,000ドル寄付する申し込みをした。この寄付申し込みに対する有効性が問われる。ホテル利用者の増大を期待する合理的判断と認め、寄付が有効と判断される。「(判旨)ホテルビジネスを遂行する権限には、これに付随するものとして、次のような権限が必然的に伴っている。すなわち、ホテルの利用客数を増加させるために計算された直接的かつ合理的な手段のすべてを、採用ないしは発揮する権限である。たとえば、広告、客引きの雇用、ホテルへの送迎用バスの運行などは、合理的な手段である。本件の寄付は、このような合理的な手段の一つであり、その目的は、被告ホテル会社の設立目的とかけ離れたものではない。それゆえ、ウルトラ・ヴィーレス原則の適用を必要としない」(Richelieu Hotel Co. v. International Military Encampment Co. 29 N. E. 1044)。(森田 [1974:629][1978:34])。

1896 Steinway v. Steinway & Songs et al.(50 F. Supp. 344)事件。ピアノその他音楽器の製造と販売を行う同社が、従業員の便宜のために、工場を移転させ、そこに、教会、学校、無料図書館、無料浴場に必要な土地や資金を費用として寄付したことに対して、その支出が不当だとして同社の株主から提訴される。従業員の福祉は、従業員の労働成果の必須の要件であり、会社の成功を左右するとして、この寄付を能力外行為とは認定せず。(中原 [1975:409], 森田 [1974:629][1978:34])。

1898 Pullman's Palace-Car社が、工場再配置のために土地を購入し、従業員を住まわせるために会社町を建設した。街路、学校建物、ビジネス用建物、下水設備、ホテル、劇場、水道、市場の地所、住居を整備する。私的資本の個別企業が、従業員の住居などすべて用意することは、理由のないことであり、同州の公共政策に反するとの判決をくだす。原告は州。(People ex rel. Molony v. Pullman's Palace-Car Co. 51 N. E. 644)(森田 [1974:634] [1978:40])。



1900 米 Virgil v. Virgil Practice Clavier Co.。ピアノ演奏の練習・楽器製造・販売を目的としたVirgil Practice Clavier社が、指導、教育、宣伝を目的として音楽学校を設立した。原告である株主は、ultra viresであるとして、この寄付を禁止させようとした。学校設立以後、この地方の楽器販売は前年に比して若干の上昇を見た。判決で、会社設立目的に付随したものは禁止されておらず、楽器の販売促進を目的とし、公共政策に反するものでもなかったので、会社の越権行為には当たらないと判断される。(森田 [1974:641] [1978:49])

1904 米 McConell v. Combination Mining & Milling Co.,事件(30 Mont. 239, 76 Pac. 194.)。裁判所は、会社による政治献金を能力外行為(ultra vires)と判断する。(富山 [1967:3:896], [1975:115])

1905 米 Worthington v. Worthington、91 N. Y. S. 443事件。水力機器の製造販売を本業とする会社が、コロンビア大学のヒュットン教授から機器の贈与を求められ、社長の父の名前であるWorthingtonの名称を大学の設置部門の名称とすることを条件としてこの機器を寄付を行った。これに対して、会社は、少なくとも数千ドルする機器を寄付し、また施設費用2,000ドルを寄付したことに対して、社長に損害賠償を起した。森田 [1964:642])

1905 米 マッコーネル事件(MaCornnel v. Combination Mining & Milling Co., 31 Mont. 563, 79 p. 248)。政治献金事件。裁判所が目的外行為として政治献金を否定する判決を下す。(中原 [2003:384])

1905 米 セオドア・ルーズベルト大統領が議会に対し、企業の政治献金を禁ずる立法を勧告する。(中原 [2003:178, 385])

1906 米 Harrison v. Alabama Midland Railway Co.事件(40 So. 394)。労災補償に対する会社の能力が争われる。アラバマ鉄道会社は、他の会社とともに、従業員が毎月所定の金額を払い会社も毎月1000ドル支払う。従業員の障害に対しては、従業員が共同団体で運営する病院で手当てを受ける権利を融資、別の共同団体から一週間ごとに所定の賠償金を受領する権利を有する。死亡時には犠牲者家族に一定の手当が支給される。負傷した原告の一人が、会社がこの共同団体に参加していることをultra viresの法理に反すると提訴する。「判旨 会社は、このような従業員の負傷に対して責任を負わなければならない。他方、負傷した従業員も、しばしば、とりかえしのような損失をこうむることになる。このような不運を防止するための工夫や改善のいかなるものも、会社権限の適切な行使に付随したものといえる」(森田 [1974:638] [1978:45])

1907 米 ティルマン法制定(Tillman Act)。不正行為法(Corrupt Practices Act)制定。連邦レベルの選挙(正副大統領・上下院議員その他)に関して銀行、会社、労働組合が献金をなすことを一切禁じる。違反者に対しては5000ドル以下の罰金、取締役には1000ドル以下の罰金または1年以下の懲役刑が課される。◆1971年連邦選挙運動法441条b項に踏襲される。正副大統領、上下両院議員選挙に関して献金または支出をなす行為を禁じ、候補者がその事情を知りながら献金を受け取ることも禁じる。故意の違反者には2万5,000ドル以下の罰金または献金額の3倍の罰金刑、または1年以下の懲役、もしくはその両方の刑に処せられる(中原 [1975:418], [2003:385])。

1907 米 People ex rel. Perkins v. Moss.事件(Court of App. 187 N. Y. 410, 80 N. E. 383)。生命保険会社が共和党全国委員会に大統領選挙の運動資金を提供したことに対する裁判。一時その資金を副社長が立て替えて共和党に納め、後に会社からその分の償還を受けたことに対する刑事責任が、ニューヨークの合衆国連邦巡回控訴裁判所(court of appeals)で争われる。政治資金は、「たとえ制定法になんらこれを禁止する規定がない場合でも、それはcorporation(法人あるいは会社)の目的を絶対的に超えたものであり、それはまったく是認しがたい違法な行為であるという、この事件に案連する基本原則について、全員の意見が一致した」(Hiscock 判事)。(富山 [1967:3:896], [1975:115], 中原 [2003:384])

1909 米 People ex rel. Metropolitan Life Ins. Co v. Hotchikiss 事件(136 App.Div. 160, 3 A. L. R. 444)。従業員のための病院を設立することに対する裁判。メトロポリタン生命保険会社(Metropolitan Life Ins.)が、結核にかかった従業員の看護と治療を目的として病院の不動産を購入しようとしたが、保険監督官がこれを承認せず、保険会社がこの決定の再審を請求した。従業員の健康と福祉にかかる支出は、charityのための支出として否定されるべきではなく、従業員の健康に配慮することは、使用者の義務であり、その履行は会社の営業上の行為の一つであるとして、会社にとって最善の利益がもたらされるならば、病院運営のための不動産を購入することが許容されると判断される。(富山 [1964:2:717-8] [1975:104], 中村 [1975:131], 森田 [1974:640] [1978:47])

1915 米 ブリンストン事件。鉄道会社による学校への寄付は、企業利益にあまりにもかけ離れた行為であり能力外との判断をくだす。(Brinston Railway v. Exchange Bank of Springfield,16 Ga. App. 425,85 S.E.634) 中原 [1975:409], 中村 [1999:40]

1916 米 Huntington Brewing Co. v. Mc Grew, 64 Ind. App. 273, 112 N.. 534事件。ビール製造と製氷をする会社が、市の新しい産業誘致策に賛同して、2,000ドルを寄付したところ、インディアナ州控訴裁は、「…市の商工業に新しい生命と原動力を与えるものであり、市の繁栄と人口増に結びつく」として、この寄付を認める。 中原 [1975:409]

1917(19?) 米 テキサス州で、赤十字への企業寄付(赤十字配当金)。企業の慈善的寄付を認める州法が成立する。企業の直接寄付する権限に疑問とする企業は赤十字によって提供された形式で決議を採択する。寄付は臨時配当金である。この配当金を直接赤十字戦時ファンドに支払うことを承認するように経営者から株主に求める。148企業が配当金を宣言し、17,948,969ドルの基金を集める。(Bowen [1953=1960:173], Heald [1970=1975:140], 森田 [1974]、Fremont-Smith (1972=1984, p.10))

1917 米 全米規模で戦時募金運動が行われる。YMCAが、軍隊関係の計画の資金調達のために、企業から寄付を募る。目標300万ドルに対して、U.Sスチール50万ドル、スタンダードオイル、25万ドルなど集まり、500万ドルの企業寄付を集める→第二回募金運動時には、約2000万ドルの企業からの寄付を集める。赤十字の配当寄付制度により、1800万ドルの企業寄付が集まる。Heald [1970=1975:55]

1917 米 連邦所得税法。個人の慈善的寄付について、所得の15%まで控除が認められる→1936年 企業の慈善的寄付についての所得控除が認められる。Heald [1970=1975:142], 天川 [1975:53], 丹下 [2001:86]

1917 米 テキサス州で企業寄付の許可立法がはじめて制定される。但し書きがつけられる。「本庄の規定は、企業が法人格のあるなしに関わらず、純粋に宗教、慈善または慈善的活動のためにこのような寄付の1年前に組織され、活発に従事しているすべての誠意ある団体に寄付することを、なんら妨げるものではない…」Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.11-12).

1918 米 ニューヨークで企業寄付に関する法律が制定される。第一次世界体制が継続する間、毎年発行株式の1%を超えない企業寄付を承認する。追加的な寄付も株主に対する10日間の予告ののちに承認する。ただし発行株式の5%の所有者から反対があった場合には、株主総会における商人に伏せられた条件に従わなければならない。同年、国立銀行が配当金から入手する金を赤十字に寄付することを認める。Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.12).

1919 米 ドッジ対フォード・モーター事件 (Dodge v. Ford Moter Car Co. et al.(204 Mich. 459, 170 H. W. 668 (1919))。ドッジ・ブラザーズ(フォードの株主)がフォードに対して配当増加を目的として起訴した事件。フォード側は、配当を減らし、自動車の価格を下げることを主張する。その年度のフォードの現金残高が5,250万ドル、見積も利益が6,000万ドルを越えていたにもかかわらず、年平均1100万ドル以上であった配当金を120万ドルに削減することを決定した。ヘンリーフォードは、将来の事業が消費者に対する価格の引き下げと、従業員にこれまで以上の仕事を得るための拡張計画を進めるとして、特別配当を行わない決定をした。『私の希望は、より多くの人を雇い、わが社の利益が、できるだけ多くの人の手に渡るようにし、彼らが人生を築き、家庭を打ち立てていくことを援助することである。これを行うために、私は、わが社の利益の大部分を、企業に再投資するのである』(ヘンリーフォード談)。
 これに対し、ミシガン州最高裁判所は、1,900万ドルの特別支払いを命じる。会社の事項についての株主の優越を支持し、取締役会の判断を不当な経営判断とみなした。事業会社はまず株主のために創立され、かつ運営される。取締役の権限はその目的のために用いられるものである。取締役の自由裁量権はその目的達成のための手段をとるために行使されるべきであり、他の目的に宛てるために、株主に利益を分配しないことは許されない」オストランダー(Ostrander)主席判事。(Bowen [1953=1960:174-6,8], 田中 [1975:16] 中村 [1975:130], [1977,1980:31], 中原 [1975:389] [2003:394], 森田 [1974:662] [1978:71], 中村 [1999:41])

1919 米 Northwestern University v. Wesley Memorial Hospital, 290 I11 205, N. E. 13事件。ノースウェスタン大学が隣接する病院に土地と金銭を寄付したところ、それが、医学生の実習施設に用意するためであるから、慈善寄付というより直接大学教育目的に役立つ行為として許容される。中原 [1975:409]

1919 米 イリノイ州で企業寄付に関する法律が制定される。Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.12).

1920 英 エヴァンズ事件 (Evans v. Brunner, Mond & Co., 1 ch. Div. 359)。化学製造業者が剰余金から計10万ポンドを取締役の任意の選択によって、連合王国内の大学や化学研究所に対して寄付する総会決議が能力外(ultra vires)であるかどうかが争われる。高度の技術をそなえた従業員が供給されることに役立つ、さらに化学製造業者の継続的発展のために認められるとの理由から、会社に直接利益をもたらす寄付が判決で認められる。(富山 [1964:2:720], 森田 [1974:643], 中村 [1999:65])

1920 米 オハイオ州で企業寄付に関する法律が制定される。Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.12).

1921 米 財政法(The Revenue Act)。個人についてのみ、慈善寄付が純収入からの控除項目として認められる。その財務規則(Treasury Regulations)62号561条ではじめて間接的(寄付により会社への直接的利益がもたらされるべき意図の存在を媒介とする)に、会社の慈善献金にも控除が認められる。→1936年財政法。中原 [1975:410]

1922 米 Armstrong Cork Co. v. H. A. Meldrum, 285 Fed. 58(W. D. N. Y. 1922)裁判。会社が、バッファロー大学とカンサス大学の経営学コース開設のための寄付申し込みをしたが、支払い不能に陥った。そこで、両大学が、一般債権者として取扱われるかが争われた。ただし、株主や債権者からこれを否定する異議は唱えられなかった。これに対して裁判所は、会社にとってよく訓練された人材が必要なこと、その大学がその地域にある教育機関であることを理由に、企業寄付を通常必要経費としてニューヨーク地方裁判所が認める。租税裁判所創設以前の事件。富山 [1964:2:720], 森田 [1974;644], 中村 [1975:131], 中原 [1975:411]

1924 米 Appeal of Poinselt Mills, 1 B. T. A. 6判決。会社がある街の教会の修繕拡張費を支出したところ、租税裁判所がこれを通常必要経費と判断する。その会社の従業員にとって他に教会がなかったこと、会社の寄付が従業員との善隣関係の維持に必要と判断される。 中原 [1975:412]

1924 米 ソレンスン事件(State ex rel. Sorensen et al. v. Chicago, B. & Q. R. Co. et al.)。鉄道会社が宣教師に無料パスを発行する無償行為の是非について争われる。ネブラスカ最高裁判所が、会社の利益との関連が乏しい純粋な慈善的行為だったが、この無償行為を支持することで利益概念が広げられる。鉄道会社は、善良な活動を援助するために、合理的な範囲で資金やサーヴィスを提供することができる。すべての差別が禁止されているのではなく、不当な差別が禁止されるとの判断。特権を受ける人々が極めて少数であることから、一般乗客にフリーパス発行のしわ寄せがくるとはいえない。「即座の経済的成果にむすびつかない寄付であっても(何らかの)目的を成就するというビジネス・ジャッジメントの事項となる」(state ex rel. Sorenson v. Chicago, B.&Q. Railroad,112 Neb.248,199 N.W.534) 中原 [1975:411-2], 中村[1999:99]、森田 [1974:645] [1978:52])

1925 米 ジュヴネイルショー事件。Juvenile Shoe社が1918-19年に役員と従業員に支払った合計5万ドルのボーナスが株主利益に反するかどうかが争われる。判断として、詐欺を立証する証拠が示されなければ、ボーナスの支給自体は一般的なこととみなされる。ボーナスに反対する少数株主の判断をもって賛成する多数株主の判断に置き換えることはしないと判断される。(Putam v. Juvenile Shoe Corporation et al.269 S. W. 593)森田 [1974:638] [1978:45]

1925 米 テネシー州で企業寄付に関する法律が制定される。Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.12).

1925 米 商工会議所税制委員会が、「適切な条件の下での有意義な目的に対する企業の献金は奨励されるべきであり、税法によって不利にされるべきではない」と主張する。Heald [1970=1975:142]

1925 米 Apeal of Holt-Granite Mills Co., 1 B. T. A. 1246判決。三つの教会への各280ドルの寄付が、従業員にとって、その寄付なしには宗教的施設が利用できないという事情が明らかでないこと、従業員の当該教会にしめる割合が、1/5〜1/3に過ぎないことを理由により、企業による寄付の控除が認められなかった。中原 [1975:410]

1926 米 J. A. Majors Co. v. Commissioner, 5 B. T. A. 260判決。ある書籍会社がテュレイン大学への寄付をしたところ、同社の顧客の大部分が同社の学生であるとしても、関連が乏しいと判断し、必要経費として寄付の控除を認めなった。中原 [1975:410]

1927 米 Boucher-Cartwright Coal Co. v. Commissioner, 7 B. T. A. 1判決。従業員の30%がカトリック教徒である企業が、修道院長の住居費として500ドルを寄付したところ、この寄付が必要経費として認められなかった。中原 [1975:411]

1927 米 Superior Pocahontas Coal Co. v. Commissioner, 7 B. T. A. 380判決。街の人口の90%が従業員で成り立ち、かつ会員の3/4が従業員で占める街唯一の教会の再建に、石炭会社が寄付をしたところ必要経費として控除が認められる。中原 [1975:412]

1928 米 Long-Bell社がワシントン州に広大な土地を購入し、従業員の福利厚生を目的として、下水設備、電気・水道配備、バス路線の営業、従業員用の住宅・寮の建設、学校、公民館、病院、の建設、YMCAへの寄付を、自社、子会社、Long氏自らも690,000ドルをこれらに寄付する。州が原告となり、会社町の建設が会社の能力外行為であると提訴する。「判旨 被告会社は町を建設するための用地を購入、開発して、従業員の必要とするものに適合した生活施設を整備する黙示的権限を有していたのである。町建設用地の規模は、チャーターを認可する主権者(国民=政府)や、公共利益とは無関係である」→原告である州の敗訴。(State ex inf. Gentry v. Long-Bell Co. 12 S. W. 2d 64.)(Bowen [1953=60:74], 森田 [1974:635])

1929 米 ゼネラル・エレクトリック社オーエン・D・ヤング会長が重役会の役割が、企業活動に関係する受益諸グループの当然の利潤を公正にバランスのとれたものに調停することになるという考えを発表する。(Bowen [1953=60:74])

1930 米 American Rolling Mills Co. v. Commissioner. 41 Fed. 2d. 314 6 th Cir 1930)。従業員の半数がその住民である市の共同募金への企業寄付360,000ドルが、その会社の名声や信用を増すという理由で、営業遂行に役立つ支出として控除の対象とされる。富山 [1964:2:720], 中原 [1975:412]

1930 米 企業による慈善寄付に関するはじめての調査報告書『組織的なコミュニティ福祉活動に対する企業の貢献』(Corporation Contiributions to Organizaed Community _Welfare Services)刊行。Heald [1970=1975:156]

1930 米 Yamhill Electric Co. v. Commissioner, 20 B.T.A. 1232判決。ヤムヒル電力会社が、ある大学へ400ドルの寄付をしたところ、同大学との間に年間500〜600ドルの電力取引がある点が重視され、控除が許容される。中原 [1975:412]

1932 米 Old Mission Portland Cement Co. Commissioner, 25 B.T.A. 305判決。あるセメント会社が、スタンフォード大学にセメントの使用をする研究を支援するために寄付したところ、控除が認められる。中原 [1975:412]

1932 米 州際商業委員会が、ニューヨーク電話会社がニューヨーク市失業救済基金に対する会社の寄付75,000ドルを、営業支出として不正に処理する行為と判断する。Heald [1970=1975:178]

1932 米 内国歳入局が、「もし納税者である企業が、支出につりあった金銭的収益をそれなりにきちんと考慮していたことを示すことができ、また支出を行うさいににそのような金銭的収益の期待によって動機付けられているならば」、企業寄付を支持する裁定が下る。Heald [1970=1975:177]

1933 米 Michigan Central Ry. Co. v. Commissioner, 28 B. T. A. 437判決。ミシガン中央鉄道が、エール大学へ「交通論」の講座を開設させるために寄付をしたが、会社の利益が明白ではないとして控除を認めなかった。中原 [1975:411]

1934 米 Old Mission Partland Cement Co. v. Helvering, 293 U. S. 289判決 (affirming 69 F. 2d 676 9th Cir. 1934)。会社がサンフランシス・コミュニティチェスとに行った自治体基金への寄付に対し、当該寄付が法人所得税の控除対処となることを主張したのに対し、第9巡回区控訴裁は、企業利益が不透明であり、1919年の歳入法を根拠として寄付金の控除を認めなかった。中原 [1975:411]、島田 編 [1993, pp.164-165]

1934 米 8月、公共事業委員会が5公共事業会社による寄付を承認する。12月、会計検査院副長官が、「国法銀行の取締役には銀行の利益を損失、疫痢、配当金の支払い以外のいかなる目的にも使用する権限はない」との決定をくだす。Heald [1970=1975:178]

1935 米 内国税法(歳入法 Revenue Act)改正。コミュニティチェスが、会社による寄付の所得税控除を求めて歳入法の改正を求めて説教的なロビー活動を展開する。慈善施設、医療施設、教育施設への企業による社会奉仕への寄付について、納税者の税引き前課税所得の5パーセントを超えない金額の範囲で損金算入することを認める。(Heald [1970=1975:183], CED [1971=1972: 36], Jacoby [1973=1975:295], Anderson [1989=1994:333], 中村[1999:42,91], 島田 [1993, pp.164-165]、Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.12).

1936 米 財政法。連邦所得税法によって、企業の慈善的寄付について所得控除が認められる。→1954年内国財政法(internal Revenue Code)。慈善的寄付によって控除が認定されるため、「通常必要経費」という基準が争点とはなりにくくなり、税法上争われるケースが激減する。だが、慈善寄付を供する州法が限られていたため、法廷闘争は残る。中原 [1975:413], 丹下[2001:86]、 州ごとの細かい規定は、森田 [1974:652].

1936 米 People v. S. W. Straus & Co., Inc., 285 N. Y.S. 648. 会社の債務不履行差とされているものの中で、Beth Israel 病院への企業寄付の申し込みにもとづく残額の支払いが問題視される。この寄付申し込みの目的は、明らかに会社のビジネスのためであり、慈善のためではないと判断され、企業寄付の有効性が認められる。森田 [1974:646]

1937 米 Fairemont Creamery Corp. v. Helvering, 89 F. 2d 810(D. C. Cir. 1937)判決。年間3,000ドルの取引のある大学へその取引維持の目的で200ドル寄付した経営判断が、合法と認定される。Fairemont Creamery Corp. v. Helvering. 89 F.2d 810 C.C. Cir 1937(中原 [1975:413], 中村[1994:52], 中村[1999:42])

1937 米 Morgan Construction Co. v. U. S., 18 F. Supp. 892(D. C. Mass 1937)。人口15,000人中、従業員が750人に過ぎない地域で、自治体基金への寄付は必要経費として控除対象にならないと判断される。 中原[1975:411])

1937 米 Holst v. New York Stock Exchange et al.裁判(299 N. Y. S. 255)。従業員が、雇用主の支援するサッカーチームに加わって就業時間外に負傷したことに対し、州産業省から19ドルの医療手当てを受けようとする。これに対して、雇用主であるニューヨーク証券取引所と保険会社が提訴する。判決は、雇用主が従業員にサッカーチームへの参加を奨励し、チームの手配も雇用主が行っていた。このような企画が、宣伝効果や従業員の健康や就業意識を高めることにあったと推定されることから、チームを援助することはビジネス行為であり、慈善や博愛ではない。会社役員は、株主の資金をいわれのない贈与(largess)に使用してはないが、この場合、原告は就業中に負傷したといえる。(森田 [1967:637])

1941 米 In re Wood's Estate.River Raisin Paper社が、役員と従業員の死亡手当てを取締役会で決定したことの是非が問われる。判決で、会社の方針や内部的運営の問題に、義務の不履行、職権濫用、不正行為がないかぎり、すべて取締役の判断に任されるとの判決が下される(1 N. W. 2d 19)。(森田 [1974:641] [1978:48])

1943 米 戦時労働争議法(war labor dispute Act)制定。政治献金の禁止が労働組合にも適用される。中原 [2003;179]

1945 米 11月、超過利得税の撤廃→企業寄付の誘引を取り払う。Heald [1970=1975:227]

1947 米 タフと・ハートレイ法304条。政治献金の禁止が労働組合にも適用される。中原 [2003;179]

1948 (昭和23年) 政治献金規正法(7月29日、法律第194条)。飯田 [1975:111]

1949 (昭和24年) 政治献金を企業の損金扱いとする法務府法制意見長官の回答(9月19日付)。これを受けて、税務官庁は、会社の政治献金を法人税法の運用上損金扱いにする。政党は「公益を目的とする事業を行う者に該当すると解するのが妥当である」(中村 [1977:107] [1977,1980:125])

1949 米 アメリカ法曹境界事業法人委員会が、各州の許可法にみられる法人権限について、すべての法人は「公共の福祉または慈善、科学あるいは教育目的のために寄付をなす権限」があることを追記する。Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.13).

1953 米 A・P・スミス社裁判。ニュージャージー州最高裁判所判決(A.P. Smith Manufacturing Co. v. Barlow et al., 13 N.J. 145, 98 A. 2d 581, appeal dismissed,346 U.S. 86)。従業員300人からなるA.P.スミス社の取締役会(the bord of directors)が、プリンストン大学(Princeton University)に、1,500ドル寄付する経営判断を下した。1951年7月24日、取締役会は、プリンストン大学に対する寄付に応じて、1500ドルを寄付することは、会社の最善の利益になると決議した。これに対して、株主は信認義務違反にあたると提訴。ニュージャージー州は、典型的な寄付を是認する州法(Corporete donations statute; 1930年制定、1950年改定)によるのではなく、ジェイコブズ判事は、慈善のための合法的な寄付を企業がなしうる権利がコモン・ローの下でこの寄付を認める。会社の慈善的寄付行為が法的に認められた。「企業がその株主の長期的福祉を考えて、高等教育機関を支援することは、単に権利であるばかりでなく義務である。なぜなら、企業は、正しく機能しない社会において効果的な事業を行なうことを期待しえないからである」(CED [1971=1972: 37])。国家の富の大部分が、会社の手に移った段階においては、企業も、個々人がなしてきたのと同様に、フィランソロピーに関与すべきである。現在の企業には、私的責任と同様に社会的責任も負わされていると述べ、寄付理由に社会的責任という文言がはじめて明記される。(富山 [1964:2:722], Headl [1970=1975:238], 加藤 [1973 37], 中原 [1975:414], 中村 [1975:131], [1977,1980:33]、森田 [1974:654] [1978:62]、松野ほか [2006:110], 中村 [1999:42], 丹下[2001:86], 中原 [2003:394], 岡本・梅津 [2006:32]、Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.15-18 ). )

1954 米 内国歳入法(internal Revenue Code)170条(b)。企業の慈善寄付が必要経費として控除の対象にされる。寄付が行われる前の課税所得に適用される。特定の事業控除及び繰り戻されるすべての経営上の損失も適用しないで計算される。企業が、宗教、慈善、科学、文芸、教育、自動動物の虐待防止などの目的をもって、米国内で組織され、または活動する諸団体への寄付について、その会社は法人税差し引き前利益の5%まで控除が認められる。→1962年にある年度の控除が5%を越える場合、次の2年間、控除を繰り越すことが認められる。→1964年、5年間に控除の期間が延長される。Heald [1970=1975:284], 中原 [1975:413], Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.22).

1955 米 Memorial Hospital Association v. Pacific Grape Products Co. 290 P. 2d 481 (Cal. 1955)。公共的病院への寄付をめぐって、寄付の効力が争われる。75%の株式を有する社長が寄付5,000ドルを認めたという理由から、寄付の効力が認められる。森田 [1974:655], 中原 [1975:416]。

1956 西ドイツ 連邦違憲裁判所判決(B. Verf G. Urt. v. 24. 6. 1958-2 BvF 1/57, NJW 1958 S. 1131.)。政治献金に対する所得税・法人税の税法上の控除が違憲に当たるかどうかの判断が下される。判決の結果、こうした税法上の規定は、政党の機会均等の原則および市民の平等の原則に反するものとして無効との判断を示す。「政党に献金をなすものは、通常、それによってその政党の目的とするところを支持せんとするものであって、これはその市民がその政党に投票するのと類似している。彼のなす政治献金は、政治意思の形成に参加する権利を行使したものである。真の民主主義の下では、政治意思の形成へ参加する権利は、選挙における投票においてあらわれるのみならず、政治的意見の形成されていく不断の過程において市民が影響を与えることにおいてもあらわれる。したがって、平等原則は、狭義の選挙法の領域のみならず、政治意思形成過程の、この前の段階においても、厳格に形式的な意味で通用されなければならない」(富山 [1964:898])

1957 米 労使関係法。労働組合による政治献金が禁止される。→1971年に法改正され、労働組合、企業、業者団体が企業政治活動委員会(PAC)を設置できるようになる。50人以上から献金を受け入れ、年間1,000ドル以上の収支がある基金をPACと呼ぶ。小林 [1975:413]。

1958 米 Union Pacific Ry v. Trustees, Inc., 8 Utah 2d 101, 329 P. 2d 398判決。会社内に慈善基金を作り、ここに5,000ドルの寄付をしようとしたところ、株主が争ったので、会社側がその合法性につき宣言的判決を求める。下級審では、寄付の効力が否定されたが、ユタ州最高裁は州における法令上の権限とは別に会社所有の慈善団体に寄付することを認める。森田 [1974:656], 中原 [1975:413]、Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.12). 。

1960 日 (昭和35年) 八幡製鉄献金事件。八幡製鉄株式会社(新日本製鉄)取締役会が、自民党に対し政治献金として、350万円を寄付した。当時、同社の定款には、「本会者は鉄鋼の製造販売並びにこれに付帯する事業を営むことを目的する」との定めがあった。それに対して一株主(有田勉三郎)が、同社の代表取締役2名を相手取って、同社の政治献金が、会社の締約違反であり、取締役の忠実義務(商法254条3)に反するとして、会社に対する350万円の損害賠償を要求する提訴した(4月15日、東京地方裁判所)。富山 [1964:374], 飯田 [1975:111], 関 [1985:168], 中村 [1992:40]

1960 米 デュベスタイン事件。法的贈与の要件には、財産を移転するものの意図あるいは精神的状態が決定的要素があるとの判決をくだす。「公平で無私な寛大さから」あるいは「愛情、敬意、賞賛、慈善または衝動のようなものから」生じる自発的財移転を法的贈与であると定義する(Commissioner v. Duberstain, 363 U.S. 278 12960)。中村 [1999:105-6]

1962 英 パーク事件。ニューズ・クロニクルアンドスター紙の売却によってデイリー・メール社から支払われるべき金銭のうち未払い債務の弁済後の差額を、ニューズクロニクル社を失職する従業員に対する補償に当てることが提案される。それに対して一株主が、株主に配分されるべきであると申し立てる。プロウマン判事は、会社や株主ではなくその従業員を益するために、資金を支払うことは取締役の能力外であり、違憲であるとの判断をくだす(Parke v. Daily News 1962 Ch 927, 1962 3 W.L.R. 566)。 中村[1999:65]

1967 英 会社法19条制定。一定額(年200ポンド以上)を越える慈善的及び支持的寄付の開示を義務付ける。→現行法では、1985年会社法234条3,4項。中村[1999:68]

1968 米 トランスアメリカ事件。慈善寄付金が損金算入に認められる場合と認められない場合との区分を判断した。間接的事業利益が実現した場合であっても、慈善寄付として認める。しかし寄付が財産移転の唯一の目的であるような直接的経済的利益を受けるならば損金算入に入れるべきではない。(United States v. Taransamerica Corp.,392 F2d 522 9th Cir 1968)(中村[1999:109])

1969 米 ヘンダーソン事件(Theodora Holding Corp. v.Henderson,257 A.2d 398 Del. Ch.)。企業が慈善基金に52万8,000ドル相当の自社株式を贈与したところ、法人株主が企業経営者の責任追及する訴訟を起こす。デラウェア州裁判所は、州の会社法の下で公共の福祉、慈善、科学、教育のために寄付をなしうることが、2州を除く全州法として普遍化していること、A.Pスミス事件の判例があること、寄付額も税法上の控除率の範囲内であることを理由として認める。森田 [1974:657], 中村[1999:43]、Eremont-Smith, Marion, R. (1972=1984,p.18).

1970 (昭和45年)八幡製鉄政治献金事件。1960年(昭和35年)、八幡製鉄株式会社が自民党に対し政治献金として350万円を寄付したことに対し、一部の株主が当時の代表取締役を相手取って、政治献金が会社の定款に定める事業目的(鉄鋼の製造及び販売並びこれに付帯する事業)の範囲外の行為(違款)であり、取締役の忠実義務(商254条2)に反する(違法)から、会社に対して350万円の損害賠償を求める。判決によって、企業による政治献金の正当性が認められる。
【裁判経過】◆東京地裁(昭和38年4月5日下級民集14巻4号657) @会社は、定款に定められた目的の範囲内においてのみ権利能力を有するに過ぎないが、この目的の範囲は、定款に記載された目的を直接行うだけではなく、その目的遂行上必要な行為も含まれる。A営利を目的としない非取引行為は、定款違反となり、定款違反は取締役の忠実義務違反となる。Bただ、非取引行為であってなお、株主全員の同意が期待されるような場合、あるいは、「総株主の一般社会人としての合理的意思によれば、当然その同意を期待できる」行為(社会的義務行為:災害救援や慈善事業や学術研究への寄付など)は、取締役の責任は例外的に問われない。だが、政治献金のような「無償行為」は、会社の目的外の行為であり、取締役が、会社に対し損害賠償を負う。
◆東京高裁(昭和41年1月31日高裁民集19巻1号7) @会社が定款の目的により制限を受けるかどうかは、地裁の判断と同じ。そのうえで、「苟しくも、一個の社会人としての存在が認められる以上、社会に対する関係において有用な行為は、定款に記載された事業目的の如何及びその目的のために必要又は有益であるとにかかわらず、当然にその目的の範囲内に属する行為として、これを為す行為を有する」と述べる。そして、その有用な行為として、災害救援、慈善事業、育英事業とともに、政治献金も含まれるとの判断を示す。つまり、政治献金は「社会的有用行為」であり、「応分と認められる限度」を超えない限り、取締役の忠実義務違反にはならない。「株式会社は、経済人としての営利を存立の目的とし、株主も、また経済人として会社企業に参加する関係にあるものと認めるべきであるから、株式会社のなす寄付については、全人格的な自然人の為す寄付の場合と異り、株主の利害と均衡上の考慮に基く合理的な限度すなわち寄付の目的、会社資本の規模、経営実績、社会的地位等から見て応分と認められる限度であるべきであって、その限度をこえて為した寄付は忠実義務に違反してなされたものとして、取締役は、会社に対し」責任を負う場合がある。「…政治資金の寄付それ自体は、その本来の性質からすれば、政党の公の目的のための政治活動を助成するものとして、立てば、慈善事業に対する寄付と、その公的性格において、逕庭のないものとみ富むべきである。従って、…経済人たる会社が政党に対し政治資金を寄付する行為は、当然に会社の目的の範囲内に属する行為として、法律上会社の為しうるところといわなければならない」。
◆最高裁(最(大)判昭和45年6月24日民集24巻6号625) 「社会通念上、期待ないし要請されるもの」と高裁判決を支持し、企業の政治献金がみとめられる。「会社が、納税の義務を有し自然人たる国民と等しく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない。のみならず、憲法第三章に定める国民の権利及び義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも通用されるべきものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである政治資金の寄付もまさにこの自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄付と別様に扱うべき憲法上の要請があるものではない」「会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の支持、推進又は反対などの政治的行為をなす自由を有するのである。政治資金の寄付もまさにその自由の一環であり、会社によってそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあったとしても、これを自然人たる国民による寄付と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない」「会社は、一定の営利事業を営むことを本来の目的とするものであるから、会社の活動の重点が、定款所定の目的を遂行する上に直接必要な行為に存することはいうまでもないところである。しかし、会社は、他面において、自然人とひとしく、国家、地方公共団体、地域社会そのた(以下社会等という。)の構成単位たる社会的事実なのであるから、それとしての社会的作用に負担せざるを得ないのであって、ある行為が一見定款所定の目的とかかわりがないものであるとしても、社会に、社会通念上、期待ないし要請されるものであるかぎり、その期待ないし要請にこたえることは、会社の当然に為しうるところであるといわなければならない。そしてまた、会社にとっても、一般に、かかる社会的作用に属する活動をすることは、無益無用のことではなく、企業体としての円滑な発展を図るうえに相当の価値と効果を認めることもできるのであるから、その意味において、これらの行為もまた、間接ではあっても、目的遂行のうえに必要なものであるとするを妨げない。災害救援資金の寄付、地域社会への財産上の奉仕、各種福祉事業への資金面での協力などはまさにその適例であろう。会社が、その社会的役割を果たすために相当な程度のかかる出損をすることは、社会通念上、会社としてむしろ当然のことに属するわけであるから、毫も、株主その他の会社の構成員の予測に反するものではなく、したがって、これらの行為が会社の権利能力の範囲内にあると解しても、なんら株主らの利益を害するおそれはないのである」「憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運営を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがって、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一様態として政治資金の寄付についても例外ではないのである。論旨のいうごとく、会社の構成員が政治的信条を同じくするものでないとしても、会社による政治資金の寄付が、特定の構成員の利益を図りまたその政治的志向を満足させるためでなく、社会の一構成単位たる立場にある会社に対し期待ないし要請されるかぎりにおいてなされるものである以上、会社にそのような政治資金の寄付を協力する能力がないとはいえないのである」
 最高裁判決に対し、当時の法制局長官が、「いちじるしく常識に反する」と発言するが、性・財界は一様に反発した(水島耕一「会社の政治献金について」 『商事法務』370)(喜多川[1966:76], 石井ほか責任編集 [1967:318], 大隅 [1976:73], 中村 [1977:93] [1977,1980:36,111-], 関 [1985:168], 新山 [1991:129], 中村 [1999:80], 中村 [1992:40], 龍田 [1999], 中原 [2003:386]) 須賀博志の憲法講義室参照)

1971 米 シンガー事件。慈善的な財産移転からある種の利益を得られるかもしれないことを認める。しかしそれは付随的な目的で、関連する社会的受益者の効果とのバランスが取られるべきとの判断をくだす。(449 F2d 413 Ct. Cl.1971)。(中村[1999:110])

1971 米 企業の政治活動委員会(Political Action Committee)がはじめて設立される。会社や労組が政治的目的に活用するため、分離独立の基金を設立し、その運営経費、献金勧誘の費用を負担するかぎりで規制が緩和される。(中原 [2003:385],Anderson [1989=1994:177]によると1974年))

1972 米 ヘラルド事件。株主が長期的になんら利益を期待できると主張しうるいかなる根拠もないままに、株主利益よりも公共の利益の方を優先した新聞社の取締役会の判断を裁判所が支持する。(Herald Co. v. Seawell, 472 F.2d 1081, 1091 10th Cir. 1972)(中村[1999:44],森田[1978:76])

1978 米 ベロッティ事件。First National Bank of Bostonv. Belloti. 435 U. S. 765.裁判。連邦最高裁判所が、会社の政治献金を禁止するマサチューセッツ州の法律を違憲とする判断を下す。会社にも表現・言論の自由を自然人とパラレルに承認する。(中村[1994:177])

1981 日 (昭和56年) 会社法改正。無償供与の開示と監査の強化。総会屋へ利益供与の禁止(商法294条2)。「営業費用のうち販売費および一般管理費の明細」項目において、無償供与の開示がなされなければならない(商法施行規則87条1項6)。森田 [2004:44]

1999 日 (平成10年) 法人税法改正。国、指定寄付金、特定公益増進法人への寄付金が、利益や剰余金の経理でも損金額にくみいれることができるようになる(法人税法37条1)。中村 [2004:46]

2002 日 (平成13年) 法人税法改正。認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)への寄付額を、特別公益増進法人への寄付額とあわせて損金参入限度の範囲内で損金参入が認められる(租税特別措置法66条11-2)。中村 [2004:47]

2005 日 (平成16年) 法人税法改正。特定公益増進法人の対象として、国立大学法人などへの寄付金も認められた。中村 [2004:50]

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◆山本祐司 (1969) 「八幡製鉄政治献金事件――日本の政治のあり方にかかわり」, 『法学セミナー』, 162, 72-74

 

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◆富山康吉 (1964) 「株式会社のなす献金1,2,3」『民商法雑誌』47(3,5,6) p.374-403. p.714-26., p.896-911.

 取引的行為の場合は、会社のいわゆる目的外の行為といえどもその客観的な性質は営利的活動の手段たりうる行為であって、会社という営利法人のがんらいの生活分野内における行為の問題であった。これに対し、寄付とか献金という行為は、営利以外の利益ないし価値をになう団体や事業が社外にあり、会社がこれを援助するために無償の支出をなすという行為であって、会社が営利法人であることとの関係が問題になってくる。(p.378)

 近時の判例はその定款に定める「目的の範囲内」ということを広く解する傾向にあり、とくに最近の下級審の判例のなかには、たとえば鉱山会社のなすブローカー的仕事や、倉庫会社のなす靴下の販売というような、およそ目的たる事業の遂行とは関係のない行為についても、これを目的の範囲内の行為と認めて、定款に定めた目的による会社の権利能力の制限を否定するのと事実上、大差のない結果を導き出しているものさえある。これに対し、寄付・献金という行為の場合、そこで問題となる株主の利益が収益帰属というその最も本質的な利益であるのみならず、取引の安全という要請はさほど考慮されるべきものにはならない。したがって、取引行為に関しては会社の活動範囲を広く解するのが近時の傾向であっても、それを直ちに寄付・献金の場合に援用できるわけではないのである。

 もっとも、社会的利益が直接に絡む度合いは各種の事業が属する分野によって一様ではなく、たとえば祭の行事というようなものは、もっぱら習俗や慣習にゆだねられ、ほとんど特別な社会的配慮を擁しない事柄である。これに対し、教育事業・政党などが属する分野では、社会的利益が強く関係してくる。そして、社会的利益が関係する場合、その社会的配慮というものは、一方ではこれらの分野に存する利益ないし価値を助長・苦心しようとするとともに、他方では弊害を防止しようという方向にも働いているわけである。そこで、会社がこれらの分野にある団体や事業に献金をすることについても、それが望ましいものとして評価される可能性があると共に、それが弊害のおそれの強いものとして判断される可能性もあるわけであり、そのいずれの評価が当該の場合に強く働くかは、寄付・献金を受ける団体や事業の属する分野の如何について具体的に見てゆかねばならぬ。(p.382)

 …右のような性質の分野に属する事業などへの寄付・献金にあっては、つぎのようになってくる。第一に、株主の利益との関係でいうと、その出損は営利とは異質の利益ないし価値のためのものであるが、多数決や業務執行機関の裁量でその出損をなくすことをみとめても、すくなくとも個々の株主たる個人にとって絶対に肯定しえない特殊の利益ないし価値のためにその収益帰属の利益が後退せしめられることにはならない。第二に、社会的利益との関係でいつても、かような出損をなすか否か、またどの特定の事業にそれをなすかを会社の裁量にゆだねても弊害が少ないものといえるし、さらに教育事業・社会事業などへの醵金については、教育・福祉などにかかる社会の一般的利益のための支出措置へむしろ望ましいものだとする評価さえ可能なわけである。(p.386)

 …会社が当然に寄付をなしうるという価値判断が成立しうる余地があるのは、その寄付に関する実質的利益関係に基本的な価値観の対立が認められない性質の寄付の場合にかぎられるのであって、右の学説・判例の立場が肯定されるとすれば、その立場における実質的判断基準は、基本的な価値観の対立の有無ということでなければならない。また、会社が当然に寄付をなしうることを認めた学説・判例がもっぱら教育事業・社会事業などへの寄付を対象としてその判断を述べていた意味もこれを客観的にみれば右の点にあったといえるだろう。そこで、問題はまず次のように整理することができよう。学説・判例がこれまで対象としてきた種類の寄付は、すべて基本的価値観の対立が認められない分野の事業に対するものであって、それらの事業のになう利益ないし価値は何人にとっても共通に肯定しうるものであり、またとくに社会的意識の高い事業についてはむしろ会社がこれに寄付をなすことが望ましいという評価さえ成り立つ。しかし、それにしてもかかる営利とは異質の利益のためになす会社の支出をみとめるのは、そのかぎりにおいて株主の収益帰属の利益の後退を認める関係になる。(p.388)

 結局、こういう教育事業・社会事業のごとき事業に対する社会の寄付・献金の場合をどう考えるかが焦点である。さて、これについて、すでに述べたところを振りかえってみると、つぎのようになる。まず、すでに述べたように、これらの事業は、そのいずれの特定の事業がになう利益ないし価値も、何人も共通に肯定しうる性質のものであり、またこれらの事業の発展に社会の一般的利益が強くかかっている、という評価を受けうる事業である。したがって、この点に着眼すると、自然人たると法人たるとを問わず、何人もこういう利益ないし価値を尊重すべきであるとする立場が可能なわけであって、学説が法人も社会の構成単位であるとか会社なる一員各社の社会上の地位という言葉で、会社がこれらの事業に当然に寄付をなしうることを理由づけているのは、おそらく右の点に着眼したものではないかと考えられる。(p.391)

 さて、政党などへ会社がなす献金については、これを多数決や業務執行機関の裁量にゆだねえない、とすることが、がんらいの市民社会の要請するところであることを、すでに述べておいた。では、教育事業・社会事業への献金の場合、株式会社の社会性を強調して古典的な株式会社観を修正することが、会社がこれらの事業に当然に醵金をなしうるとする価値判断を明確に正当付けることになるが、その同じ株式会社の社会性の強調ということは、会社の政治献金の場合にもがんらいの市民社会の要請を修正してこれを許容する方向に動くかどうか。いったい、株式会社の社会性を強調するという思想には、一般に次の二つの要素が表裏をなしつつ絡み合っている。一つは、株式会社がその内部の私的利益のみならず社会的利益をも積極的に実現すべしという要請であり、もう一つは、社会的利益を守るために株式会社という巨大な富を掌握する私的な権力の恣意的活動を制約しなければならないという要請である。株式会社の社会性の強調ということは、株式会社を単純にオール・マイティにして社会の運命をこれに任せてしまうということではなく、右の二つの要請がつねに表裏をなすものとして主張されているゆえに、伝統的な株式会社の構成をこれによって修正することが正当視されているわけである。(p.393)

 …たとえば風水害の義捐金というようなものを取りあげてみると、これは目的たる事業とか営業活動の如何とかにまったく無関係に判断するほかはない。これを「目的の範囲内」の行為ということを用いて肯定するにしても、それはがんらい取引的行為の場合に使われていた言葉の意味とはまったくちがっており、全く異った利益考慮がそこに盛られているわけである。あるいは、この場合、その寄付が会社の信用・名声を高めることになる、として、営業の遂行に役立つという「必要または有益」なる言葉ががんらい取引的行為の場合に意味するところに引き戻してこれを肯定する考え方もありうるだろう。けれども、その出損が社会の信用・名声を高めるということは、その出損によって実現される価値が何人にとっても肯定される社会的価値であると共に、会社がその出損をなすことが社会的に積極的に評価を受けるということを、当然に前提しているわけである。したがって、その前提とするところに着眼してこれに実質的な判断基準をもとめるほうが、はるかに明確でありかつ直截であるといわなければ成らないだろう。(p.395-6)

 もっとも、こういう従業員の福祉のための支出を、それが労使関係を良好にして結局会社の営利に役立つというふうに、古典的な原則の立場にひきもどしてこれを肯定する見方もありえないではない。しかし、一般的にかかる支出が会社の営業遂行上の行為として当然に肯定されるのは、従業員の福祉を図ることが広く社会的要請になっているという状態を前提しなければならない。右の判例の実施的根拠をなす価値判断を端的に捉えるならば、それは、その支出が営利に役立つというのとは異なっていて、会社の活動にともない従業員の健康が損傷されることにつきその損傷の防止や填補を会社がなすことが社会的に要請される、という点にあるものといえよう。(2:p.p718)

 繰り返し述べたように、会社の社会性の認識から直ちにその支出が肯定されるのは、教育・福祉などのための支出にかぎられるのであって、あらゆる種類の献金に及びうるものではないことである。教育・福祉などのためにする支出にあっては、その支出が社会の営利性或いは株主の収益帰属の利益と衝突するという点だけが問題になるのであって、それゆえ、会社の社会性が強調されてくるとその支出が当然肯定されるのである。コモン・ローでは、後に述べるように、株主の収益帰属の利益とのみ衝突するところの教育・福祉目的の支出と、公的と衝突するところの政治的目的の支出などとは、明瞭に別の問題として取り扱われている。(中略)会社の社会性といっても、株式会社が営利法人であって株主に収益帰属の利益が存すること自体を否定するものではなく、社会的利益の尊重という要請のまえに株主に収益帰属の利益が部分的に後退することを認めるものに過ぎない。わが国の学説・判例が「適切な金額」の範囲内でなす教育事業・社会事業への寄付を認めるとしてるのは、この意味で理解される。(2:p.723)

 はじめに指摘しておいたように、会社のなす政治的の目的のための支出に合っては、それが、国民が事由かつ平等に国家の政治意思の形成に参加すべきことと矛盾する、という点が問題になるはずである。(3:p.896)

 政治献金という行為は、まさに連邦違憲裁判所の判決がいうように、一定の政治的立場を支持して国家の政治意思の形成に影響を与える行為であり、したがって、国民が政治意思の形成に平等に参加する原則がこれに適用されるべきものである。では、法人のなす政治献金はどうか。まず、第一に、国民主権の古典的な建前においては、政治意思の形成に参加するのは、もっぱら個人が市民として有する関係であって、法人は原則としてかかる生活関係に立たないものと想定されているから、政治献金という行為の性質を右のようにとらえれば、これは元来法人のなしうる行為として法が想定するものではないわけである。第二に、その、国民が市民として有する参政の関係に働くところの、平等の原則との関係はどうか。参政の平等の原則は−すくなくともその古典的な意味においては−形式的意義のものであって、国家の政治意思の形成に与える影響力に事実上個人差があることまで否定するものではなく、したがって個人の所有する財産の大小によってそのなしうる政治献金の額に高低が生ずるとしても、それは問題にならない。しかし、個人が自ら選択した政党に自己の財産を供与するのでなく、多数決や業務執行機関の決議を通じて、自己の財産ではない法人財産をも右の目的のために使用しうるとすると、それは、すべての国民が平等に国家の政治意思の形成に参加する、ということと矛盾するのではないか、という問題が起こりうるわけである。(3:p.899)

 第一に、私人が国家の政治意思の形成に参加する関係は、国民が市民として有する関係だというのが、近代の市民社会およびこれを基盤とする政治秩序のたてまえであって、法人はかかる生活関係に立つものとは想定されていない。したがって、政治的目的のための支出というような間柄は、法人−すくなくとも市民法上の法人−にとっては、はじめからその活動領域外の事柄なのである。第二に、しかも国民が市民として政治意思の形成に参加すある関係については、そこに参政の平等と政治的自由というきわめて強い原理が働いている。法人が政治的目的のために支出をなす場合、それはたんに法人の活動分野として想定されているものだというだけでなく、法人の活動分野でない国民の生活関係にはたらく参政の平等と政治的自由の原則に矛盾してくる。そこで、法人の政治献金は、たんにかかる活動は法が法人の生活関係として想定されていない。というだけでなく、さらに公的違反という観点からする法的判断をも加えるべきほどにまで、その社会の基本秩序を害する重大な結果をきたすものかどうかが問われることになろう。(3:p.900-1)

 もっとも、その基本的秩序に矛盾する私人の行為が、その公益を害する結果の程度を問わずすべて右の判断を受けるものとはいえないだろうから、一律にあらゆる私人のなす政治献金が公益違反という法的判断の対象になるとまでいうのは疑わしい。しかし、すくなくとも、私人による憲法原則の無視を放任する結果の重大性がみとめられる場合には、国家の基本的秩序違反という法的判断が働くべきものであって、株式会社のなす政治献金は、すでに述べたようにまさにこのような行為だと考えられるのである。したがって、株式会社の政治献金は、その行為の性質からいえば、権利能力の範囲外の行為としてではなく、こうの秩序違反の行為(民90)としてその司法上の効力を否定されるべき行為である。(…) なお、実際上はきわめて稀なことであろうが、株主の全員の意思によって政治献金がなされる場合は、これを肯定するほかはないだろう。全員がそれぞれ市民としてのみづからの意思によって決めたものであり、かつその全員が構成員として会社財産の処分権能を有する以上、これを否定する理由はないからである。法的構成としては、その政治献金は、全員が市民としてなす行為であって、会社のなす行為ではなく、会社はいわばその通路に過ぎないと考えられることとなろう。(…)なお、以上と異なり、広い意味では公的生活関係に属する活動でも、憲法上これに関して国民に複数の立場の選択が想定されずむしろ当然にすべての国民が承認すべき目的のための行為であれば、ここにいう政治的目的の行為ではなく、かかる目的のためになす会社の出損は一般的公益目的の出損としてこれを前号で述べた教育・福祉目的の出損と同様に取り扱えばよいわけである。(p.904-5)

 株式会社のような市民法上の法人の存在目的には、政治的性格のいわば前段階ともいうべき社会階層的性格すらないのがたてまえであることに注意しなければならない。市民法上の主体は、それが営業主体であるとか所有主体であるとかいっても、それは自由な権利主体が対等に向き合うという取引の世界での意味合いのものであって、無産者階級に対する有産者階級というような社会階層的性格のものではない。このことも、法律学にとっては自明の事柄であるが、社会の政治的活動の問題を扱うさいには十分に注意しておく必要がある。要するに、株式会社というような市民法上の法人にとっては、政治献金とか政治的プロパガンダというたぐいの活動が、社会の目的たる事業ないし営業活動の具体的態様との関連から肯定される余地はまったく存しないのであって、これを、かりにわが国の判例や学説が慣用している表現形式を用いて言えば、こういう政治的活動は、はじめから会社の「目的範囲外の行為」であり目的たる事業の遂行にとって「必要または有益」という関係に立たない行為なのである。(p.907)

 なによりも、現代的状況としてあげなければならないのは、こんにちでは、株式会社が社会の富を管理し国民経済に君臨するという、その強大な社会的地位である。市民法上の法人のなす政治的目的の支出は、国民主権の原理との関係から論じなければならないといっても、かかる株式会社が政治献金をなす場合、国民主権の原理が構成する社会の基本秩序をそれが侵害する結果は別格のものである。さらに、株式会社の現実の内部構造においては、かかる強大な経済権力が少数者によって掌握されていることを考え合わせると、そのなす政治献金は、国民主権の原理に極めて矛盾するものとなろう。また、株式会社は、構成員の私的利益のみならず公益を尊重し従業員の利益を尊重しなければならないというのが思潮となっているが、こういう思潮からすれば、少数者が株式会社に管理される社会の富をもって、国家の政治意思に対し強大な影響をあたえることをほしいままにするのを放置することは、ますます奇妙なことになるはずである。(p.911)

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◆関 英昭 1985 「政治献金と企業の社会的責任」 『青山法学論集』26(3・4) p.165-91.

 会社が寄付・献金をするのは、会社にそれだけ利益があるからで、利益(もっと日常語で表現すれば「儲け」)がない場合にはこのようなことは一般に問題とならない(利益がないのに寄付・献金をすれば、それは取締役の責任の問題となろう)。それゆえに、会社のなす寄付・献金は、会社に儲けさせてくれた国民・一般社会に対する分配(利益還元)だと考えることが出来る。国民はそれを自己のもとへではなく、社会に還元されることを望む。その場合具体的に考えられるのが育英事業・慈善事業・災害地への救援等であって、これらのもとへの寄付・献金は、それは何人も欲するところであり、一般社会の同意を得られるものである。そのような型での利益配分を行うことは一般国民の利益感覚にも法感情にも合致する。(…)したがって会社の寄付・献金が認められるかどうかは、会社の「社会的責任」の責任内かどうかを基準に判断することとなる。とすれば特定の政党に対する政治献金が、国民一般の同意を得られる質のものでないことは明らかである。 (p.188-9)

 

 

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◆中村 一彦 1977 「政治献金と企業の社会的責任」,『法政理論』9(3) 新潟大学法学会  p.92-122.

 次に、第一審判決は、社会的義務行為については、例外的に、取締役の責任を生じないとする。しかし、商法第66条4項はすでに発生している取締役の責任の免除の用件を定めた規定であり、また、会社の営利性を出発点としたため総株主の同意があればさしつかえないとしているが、総株主の同意を要求することが現実に困難な八幡製鉄のような大企業において、総株主の同意が当然期待できるというのは、理論的にまったく無理な擬制というほかない。なお、第一審判決は、災害の救援資金などを「社会的義務行為」という表現で評価しているが、法律上厳密な意味では寄付は「義務」行為ではないであろう。寄付することが望ましいし、また積極的になすべきであるとの社会的要請に大して、企業の社会的責任の視点からは会社もまた当然にこれを果たしうるという意味に解すべきであろう。(pp.103-4)

 民法90条の公序違反にまでは至らない行為であっても、社会的に非難を受ける行為であれば、取締役の忠実義務違反を生ずるという西原教授、服部教授の見解は、理論として成り立ちうると筆者も考える。筆者は、企業の社会的責任の視点から、取締役の忠実義務を単に会社内部の問題に止めず、対社会の公共的義務にまで高めて構成することが必要と思うからである。しかし、会社の政治献金に関する限り、国民の政治的信条の自由および参政権の個人的性質と両立せず、したがって憲法秩序に違反し、また民法90条違反と解する説に賛同したい。このように解することが、もっとも、企業の社会的責任の意味・内容に即応することになろう。(p.1193)

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◆大隅 健一郎 1976 「五 会社の政治献金」,『私と商事判例』 商事法務研究会 pp.73-87.

 会社のなす政治献金については、@それは、国民の参政の平等と政治的自由を阻害する公益違反の行為であって、民法90条により無効ではないか、Aそれが会社の権利能力の範囲内の行為といえるか、Bそれは取締役の忠実義務違反の行為ではないか、などの諸点が問題となる。
 会社のなす政治献金は、あるいは上述の意味における公益違反の行為であり、あるいは会社の権利能力の範囲外の行為であって、無効であるとする見解も少なくないが、学説の多数は政治献金は会社の権利能力の範囲内の行為であると解しており、しかもその多くは、政治献金も会社の定款所定の目的たる事業の遂行に必要または有益であるから、会社の権利能力の範囲内の行為であるとするのである。しかし、「私の意見」においてのべたとおり、各種の寄付や政治献金が会社にとって必要または有益であるとしても、それはどのような事業を目的とする社会にもひとしく認められるのみならず、会社以外の法人についても多かれ少なかれ認められるところであって、これを個々の会社の定款所定の目的たる事業と関連せしめて論ずることは、意味がないばかりでなく、かえって牽強付会のそしりを免れないと思う。この点につき、それはあたかも、他人の債務の引き受け・営業資金の借り入れ・従業員の雇いいれなどの行為が、どのような事業を目的とする会社にも認められるにかかわらず、定款所定の目的のために必要または有益であるとされるのと同じことであって、格別事とするに足りないとする見解がある。しかし、右のような行為はすべての経済的事業にとって必要または有益な行為なのであるから、会社の定款所定の目的たる事業と関連付けることが可能であるが、各種の寄付や政治献金は、それが必要または有益であるとしても、会社事業にとって必要または有益であるというよりも、会社自体の存立にとって必要または有益というべきものであって、これを同時に論じることはできないのではなかろうか。この点からいって、各種の寄付や政治献金が会社の権利能力の範囲内に属するとしても、それは取引行為などとは異なる次元において考えられるべきものではないかと思うのである。(p.86)

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◆Eremont-Smith, Marion, R. (1972). Philanthropy And The Business. New York. Russell Sage Foundation.(=1984 萬代久尚 訳 『慈善と企業』, 自費出版(非売品)

 

 501条(c)(3)は、次のように要求している。すなわち、非課税であるために、財団はもっぱら一つの、あるいはそれ以上の慈善目的のために組織され、運営されていなければならない。また”その収益の一部といえでも、いかなる民間の出資者または個人の利益に役立ってはならないし、その活動の相当部分が、法律制定に影響する宣伝を行い、あるいはこれを試み、またいかなる公的機関の候補者の利益のための、いかなる政治運動にも参加し、または干渉(所信を発行し、あるいは配布することを含む)し>25>てはならない」としている。(pp.25-26)

 しかしながら40年代の後半では、内国歳入庁における連邦法の行政的弛緩と、州段階における監督の事実上の欠如から、アンドリュースが特徴づけたように、財団を個人グループにとって、”本来の目的である事前よりも、節税目的”のための魅力的な道具にしてしまったのであった。フィーダーと呼ばれる一部の法人は(役者注:いわゆる培養産業)は、事業を営み、その利益の全部を、営利企業と競争して慈善団体に分配した。他の財団も同様に、営利企業に負けずに、いろいろの収益増出活動を行った。そして急速な剰余金蓄積のための手段を与えられているという、恵まれた財務的地位の故に、ある場合には、財団の当初の寄贈者に、しばしば無利子あるいは定理の、しかも返済約定のない貸し付けを行った。また他の財団では、不動産に関して、リース・バック契約を結ぶなどの方法で起草者及び主たる寄付者に恩恵を与えたりした。、

 しかしながら、米国の法律制度の中で現れた政治的、法的理論は、ずっと、企業というものは、その地位に付随するすべての法的属性、特に経営を支配し、利潤分配に参加する権利を保有する株主が”所有”するものとして看做してきている。(p.134)

 例えば政治学者であるアンドリュー・ハッカーは、”現在寄付のためにイヤーマークされている金も、ほかへ生かそうと思えばできるし、またそうすべきである。たとえば(は言い問う金増加として)株主へ、あるいは(価格の引き下げに)消費者へ、(税として)政府へ、あるいは(もし企業税収が大きくなれば、個個の納税者自身の率は低くなる可能性があることから)一般納税者に対してすら行くことができる”と主張した。彼の主張は、企業寄付は、主としてちゃんとでき上がっている事前の恒久化を目的とするもので、貴族的であるという前提に立つものであった。彼はまた、個人企業経営は気まぐれであり、その意思決定はどのようなコントロールも及ばないものであることを発見し、個人企業の寄付の背後における政策の欠如を批判している。企業は、貧乏という原因が、企業の寛大さによって援護されているという原則がもたれる限り、寄付を続ける。しかし企業は、不可能であるというだけではなく、その保守的な性格の故に、社会の最も緊要な問題を解決しようとしないだろう。(p.148)(アンドリュー・ハッカー「大企業は、税控除可能な寄付を何時するか・ニューヨークタイムズマガジン・1967年11月12日34ページ)。

 かくして、求められるものは、事業目的の新しい定義である。企業事前の歴史は、事業目的の定義が、企業経営者並び>162>に一般公共の心の中に拡大解釈されるようになって初めて、事業の合法的活動として考えられるようになったことを示している。企業事前の将来は、今や、この”責任ある”企業という新しい見方が、広く容認されるようになるかどうかに、一部かかっている。その過程で、企業の寄付プログラムが完全に削減されてしまうとは考えられない。しかしながら、もし特に、伝統的な事前プログラムに対する予算が、より新しい活動の資金に食われてしまうようなことがあるならば、われわれはそれを、増加水準の停止であると予言することができる。(pp.162-163)

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◆UP:070223/REV:070407,090804