うまなり[Home]/馬群に沈んだデータベース/そのまま!そのまま! [論点紹介]/社会的責任投資/学会報告「社会的責任投資と企業の社会的責任」 |
私は、社会的責任投資と、企業の社会的責任論とが、どのような関係のなかで論じられているのか、について考えてみたいと思います。社会的責任投資とは、資金の運用収益にのみ投資目的を限定するのではなく、経営内容の社会性にも配慮して投資することです。国内では1999年に発売されたエコファンド、これは企業経営の環境負荷を投資の適格に組み入れた個人向けの投資信託ですが、この発売を契機として、今日国内では個人向けまたは企業年金むけの金融商品が20本近く開発されています。 今回の発表目的は、社会的責任投資の発想が、ビジネスエシックスを論じるうえで大変重要な問題提起になる、と私は考えるのですが、そこにはいくつかのジレンマがあり、その問題は依然として解消されていないのだ、ということを指摘したいと思います。また発表時間内に、具体的な事例や経緯についてお話する時間がありませんので、それについては配付した資料を参照していただきたいと思います。さらに詳しい情報をお知りになりたいかたは、参考資料にあげた文献などをご覧ください。 社会的責任投資が、企業の社会的責任論と関連付けて論じられるようになったのにはふたつの背景がある、と私は考えています。ひとつは、社会的責任投資が収益性に優れている、という主張があることです。つまり、社会性のある企業は、経営環境をとりまく利害関係者(ステイクホルダー)から信頼を得て、安定した経営をすることができる。さらにそうした企業は、製品やサービスについての評価を高められるだけではなく、企業のブランド・イメージとしての付加価値を高めることができる。さらに、そうした目に見えない要素が、業績の向上や取引を円滑にし、結果的に企業の株式評価を高めと、ビジネスチャンスを拡大することができる、と論じられています。またブランド・イメージは企業組織の内部にも相乗効果をもたらし、従業員の就労意欲、人材の流出の防止、従業員への厚生が生産性に結びつく、と考えられています。そして社会的責任投資が、企業の社会性つまりブランドや信用が適切を評価するならば、その投資家たちは中長期的に安定した運用収益を得られる、という考え方です。 社会的責任投資はもうひとつの文脈から、企業の社会的責任論と結び付けています。それは、現在のまま生産活動をすすめていくと、ゆくゆくは地球が壊れ、市民社会と市場経済が滅ぶ、という意見です。それゆえ企業は、社会的責任を果たすことによって、経営資源を持続的に確保する必要がある。社会的責任投資は、このグローバルな、あるいはローカルな問題を両面から改善するための手段として有効だ、と論じられています。その背景には、企業はこれまで自然環境問題や地域社会との関連性を業績と切り離して、いわば外部経済として重視してこなかった。そのため、自然環境の汚染や地域間の所得格差、多国籍企業の経営者と、操業先の主に発展途上国の従業員との権力構造が生まれてしまった、という指摘があります。そして、この問題は国境を越えたグローバルな社会問題であるために、各国の政府や自治体など公的機関は、もはや解決することが難しい問題である。それゆえ、社会的責任投資は、地域社会への配慮や自然環境への負荷を考慮した企業経営を投資によって評価して、持続可能な社会を構築することができるのだ、と論じられます。 こうした主張は、国際連合が貧困問題の改善や社会的不平等の是正をすすめる施策、またEUが、アメリカ一国主義的なグローバル・スタンダードに対抗する政策と合致しています。とくにEU各国は2000年以降、上場企業に社会的責任についての報告義務を課し、年金制度改革つうじて企業や民間の年金基金が社会的責任投資の購入をしやすい制度改革をおこないました。 しかし、こうした議論には、ふたつの根本的な問題がある、と私は考えます。ひとつは、本当にこうしたビジョンが、企業の業績に寄与するのか、という疑問です。いいかえると、こうしたインセンティブかはたらかないならば、企業は社会性を失うのか、ということです。そしてもうひとつは、社会的責任投資が注目され、市場の動向に影響を与えてもなお、企業経営を取り巻くステイクホルダーの利害は依然として調整されていないのではないか、という疑問です。 社会的責任投資は、投資家個人の信念にもとづいて行なわれているかぎり問題はありません。しかし、問題は信託法に該当する金融商品です。今日の社会的責任投資の大半は、金融機関が個人や年金基金など第三者の資産を預かり、投資信託などをつうじて運用する仕組みです。信託法にもとづくと、そうした第三者の資産を預かる金融機関は、受託者責任と呼ばれる信認義務を負います。これまでの判例や行政解釈などを加味すると、社会的責任投資は、他の金融商品と比較して、同等かまたはそれ以上の運用成果をあげなければ、信託法の信認義務に反する恐れがある、と解釈されています。なぜなら他人の資産を運用する際に、投資の収益性を犠牲にしてまで社会的な価値を目指すべきではない、とみなされているためです。 では、社会的責任投資は本当に他の金融商品と比較して運用面から優れているでしょうか。現在のところ、それに対する明確な結論は出ていません。結論が導き出されない理由として、社会性のある企業は、企業不祥事や消費者の不買運動など経営リスクを抑制するうえでは有効な経営手法であるかもしれないが、既存の業績を急激に好転させる効果を期待するのは難しいと、いう指摘があります。またもうひとつの理由として、比較する金融商品の対象、運用期間、評価基準などが論者によってまちまちであるために、統一した結論が得られないためです。そもそも社会的責任投資は、運用する金融機関によって投資方針や基準が違うので、他の論者から批判を受けない程度に妥当な結論を導くことが難しいということです。 もうひとつの根本的な問題は、結局のところステイクホルダー間の利害がうまく調整されていない、という疑問です。企業の社会的責任や金融商品化された社会的責任投資は、さまざまなステイクホルダーによって利害の調整が期待されています。たとえば配当やキャピタル・ゲインに期待する株主、仕事の面白さと待遇の改善を望む従業員、業績の向上や報酬に期待する経営者、安価で優れた品質の生産財をもとめる消費者など、企業の業績に直接かかわるだろうことを想定しやすいステイクホルダーがいる反面で、経済的価値に直結しないと想定されるステイクホルダーもいます。たとえばそれは、社会的不平等の是正をもとめる人権団体、企業経営に批判的な社会運動団体、人間や動植物の尊厳を主張する自然保護運動などです。社会的責任投資の理念が、運用収益という成果でしか評価されず、社会的利益を経済的価値体系のなかで論じられるかもしれません。そうなると、ステイクホルダーの利益は、その人びとや団体がどれだけ企業の業績にどれだけ影響力を持つかという基準で優先順位がきめられてしまうおそれがあります。またこうした優先順位の付け方は、他の企業がやっているから、自社はしなくてもよい、あるいは他の企業もやっていないから、自社はしなくてもよい、という「ただ乗り」の原因ともなります。いいかえると、社会的な価値の効用を、企業の業績にすぐさま還元してしまうならば、個人の経済的自立を促すために必要な小額の資金融資や、公共的な事業によって享受される人間の生活の質の改善など、社会的課題を改善するために必要とされる価値が適切に評価されなくなる恐れがあると、考えます。 私は企業の社会的責任または貢献、そして社会的責任投資のコンセプトに大きな可能性を期待します。しかし、それはすでに完成したビジョンではなく、まだ考慮すべきいくつもの課題を抱えた思考錯誤のなかのビジョンだということです。そしてこれらのコンセプトをより強固なものにするためには、生産の場である企業が、人間の営みを維持する社会活動から承認をうけるために、経営の正当性をどのように根拠付けていくのか、という観点から論じられるべきだ、と私は考えます。ご静聴ありがとうございました。 |
041125作成
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