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鈴木勇 1991 『経済学前史と価値論的要素』 学文社 A5 253P


目次


第1章 アリストテレスと聖トマス・アクィナスの経済学


 
第1節 アリストテレスの経済学

 第2節 聖トマス・アクィナスの経済学



第2章 近世への転換とイギリス初期重商主義論

 第1節 転換期−近世の展開

 第2節 イギリス初期重商主義論と価値および剰余論的要素



第3章 17世紀の労働説、W.ペティ

 第1節 ペティの財政論と価値論

 第2節 ペティ労働価値論に関する若干の問題点



第4章 17世紀、J.ロックの労働説と需要説

 第1節 ロックの労働説 −所有論

 第2節 ロックの需要論 −利子論

 

第5章 スコラ学者の価値論と16・17世紀の効用説

 第1節 スコラ学者の価値論

 第2節 自然法哲学者と経験主義者の効用説



第6章 18世紀初期の価値論的要素

 第1節 ジョン・ローの価値論

 第2節 カンティロンの経済学と価値論

 第3節 フランクリンの価値論



第7章 結語 −価値論説前史における若干の覚え書き


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第1章 アリストテレスと聖トマス・アクィナスの経済学


第1節 アリストテレスの経済学

 「この[使用価値と交換価値との区別の]天移管しては、彼[アリストテレス]の研究が倫理問題に向かったというよりも、はじめから彼は交換の問題を応報の正義として、配分の正義や規則の正義と同様、いずれも両極端の中間を善とする中庸の思想を柱に、倫理問題として扱っていたのであって、経済分析が自己目的ではなかったのである」(P9)

 「彼[アリストテレス]の主題が交換における正義の実現であって価格分析そのものではなかったからだ。異なる種類の品物が交換によって均等化され、同質のものとして比較され、双方のうちに平等が実現されればそれでよいのであって、それ以上分析の必要はなかったのだ。しかし、アリストテレスがこの均等性に関して、双方の物品を生産する労働にも言及していることから、構成の客観的価値説に有力な手掛かりを与えたことは事実だ。他方、彼が欲望と需要を基礎に理論を展開したことは主観的価値説の出発点ともなっていることも事実である」(P12)

 「これらの富も倫理的な見地から、「自然にかなった富」と不自然な富とに区別される。前者は自然から得られる所のもので、家政術の一部に属し、中庸の思想に基づいて、自然なものとして是認される。しかし、後者は交換的取材術によってもたらされる貨幣的富であって、自然的な生活の必要を越えて無限の致富行為に走る不自然な富として排斥される」(P13)


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第2節 聖トマス・アクィナスの経済学

 「自然法は、(…)中世の経済思想の哲学的根拠となったもので、自然法を理想的標準として個々の関係の善悪が測られたのである」(P20)

 「現存する私有財産聖を承認した聖とマスは、次に、財産の使用について論じている。(…)ここでは、所有の私的性格に対して使用の共同性が強調されている使用に関しては、「外的諸物を自己のものとしてではなく、公のものとして、即ち、何人も、他人の困窮に向かっては容易にこれを分かち与える心掛けで所有しなくてはならない」という思想−すなわち相互扶助の思想が中心にある」(P20)

 「聖トマスの価値をめぐる議論は、彼が価値の本質について明言しているわけではないので推測の域を出ないが、彼が公正価格に労働の報酬ばかりでなく、財の有用性や効用の大きさも含めていたこと、そして価格が市場の変動に応じて変化することを認めていたことは明らかである。」(P)

 「聖とマスは微利のすべてを禁止したわけではない。喪失利得という意味での利子は認めなかったが、発生した損害の賠償や無償の贈与、善のための活用などで利子を認めたということは、現実社会で営まれている金融取引業と利子の存在を一定の限度において追認したことを意味する。また、商人や職人に対し組み合い形式で資本を出資し、その利益の取得を認めるということは、貨幣のもつ資本的性格を十分に知っていたものといえよう」(P28)

 「」(P)
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041030作成
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