第一章 商品
「富の社会的形態がどうあろうとも、使用価値はつねに、そうした形態にたいしては、さしあたり無関係な富のないようをなしている。(…)使用価値は、たとえ社会的欲望の対象であり、したがってまた社会的関連のなかに、少しも社会的生産関係を表現するものではない。(…)使用価値であるということは、商品にとっては不可欠な前提だと思われるが、商品出ることは、使用価値にとってどうでもよい規定であるように思われる。(…)直接には、使用価値は、一定の経済的関係である交換価値が、みずからを表示する素材的土台なのである」(P22-3)
「交換価値は、さしあたり、使用価値がたがいに交換されうる量的比率としてあらわれる。このような比率においては、これらの使用価値は同一の交換量をなしている。(…)交換価値としてならば、ひとつの使用価値はただそれが正しい割合で存在してさえおりさえすれば、他の使用価値とまったく同じねうちがある」(P23)
「使用価値はそのまま生活資料である。だが逆に、それらの生活資料自体は、社会的生活の生産物であり、人間の生活力の支出の結果であり、対象化された労働である」(P24)
「運動の量的な定在が時間であるように、労働の量的な定在は労働時間である」(P25)
「水準以上にある複雑労働についてはどういうことになあるのであろうか。この種の労働は、結局のところ複合された単純労働、何条かされた単純労働に帰するのであり、したがってたとえば、複雑労働の1日は単純労働の3日にひとしいということになる」(P27)
「ある商品のうちに含まれている労働時間とは、それの生産に必要な労働時間、つまりあたえられた一般的生産諸条件のもとで、同じ商品を新たにひとつ生産するのに必要な労働時間である、ということが前提にされているのである」(P28)
「自然素材そのものは、労働をふくまないから交換価値を含んでいないということもまた、交換価値そのものは少しも自然価値をふくんでいないということも、おなじく同義反復である」(P33)
「もし商品がその所有者にとって使用価値であるならば、つまりそのまま所有者自身の欲望を満足させるための手段であるならば、それは商品ではないであろう。商品所有者にとっては、それはむしろ比しようかちであり、すなわち、交換価値の単なる素材的な担い手、あるいは単なる交換手段である。(…)その所有者にとっては、商品はただ交換価値としてのみ使用価値なのである」(P42-3)
「すべての商品の交換価値の格好な定在を表示する特定の商品、あるいは特定の排他的な一商品として諸商品の交換価値 −それが貨幣である」(P)
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